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2009/10/19

歴史の?その13

<アトランティス>

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 ギリシアの哲学者プラトン(紀元前5世紀~同4世紀)が、表した著作に「ティマイオス」と「クリティアス」が現在にも伝わり、この中に「アトランティス」と云う名前の島が登場します。

 「其れは、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の外に在り、リビア(アフリカ北部)とアジア(小アジア)を合わせた位の大きさで、その島から他の島々へ、更にその島々から本当の大洋を取巻く、反対側の全大陸へ渡る事ができた。アトランティス島は、強力な王権の基、島々から大陸の一部分迄その領地で、アフリカは、エジプト迄、ヨーロッパは、ティレニア(イタリア)迄がその王国の版図だった。島は豊かで、生活に必要な物資は、全て自給自足、あらゆる種類の鉱物に富み、ことに“オリハルコン”と呼ばれる、金に次ぐ貴金属は、島の至る所で採掘された。アトランティス王家の富は、今までのどの王家より多く、王宮や神殿等の壁は、金銀や、炎の様に輝くオリハルコン、象牙等で飾られ、神殿、公園、競技場も数多く点在し、更には、強力な軍隊を備えていた。アトランティス島は、正にユートピアの様な島で在ったが、大地震と洪水の結果、一夜にして海中にその姿を没した」。

 この話をプラトンの想像で、全くの空想的なものとする学者も多く、実際にアトランティス島は存在したとする学者と真っ向から意見は対立していました。

 プラトンは、この話を祖父であるクリティアスから聞き、クリティアスは、ギリシア七賢人の一人、ソロン(紀元前7世紀~同6世紀)から聞いたとされ、ソロンはエジプトを旅した時、そのナイル河の河口の町、サイスで、その神官からアトランティス島の話を聞きました。
サイスの町の神殿には、古代からの色々な出来事を記録した文書が、伝えられ、神官もその文書によってアトランティス島の存在を知ったのでした。
ソロンは、神官からアトランティス島の消滅は、9000年前の事であると聞かされました。

 アトランティスは、やがて伝説の大陸として、好事家の格好の題材と成り、色々な書物も出版されましたが、その実在論が、展開されたのは、むしろ第二次世界大戦終了後の事でした。
旧ソビエト連邦(現CIS)の考古学者 アンドレーエヴァは、プラトンが「本当の大洋」と記しているのは大西洋、「反対の大陸」は、アメリカ大陸を指すもと考え、大西洋に遥かな昔、アトランティスと云う“大陸”が存在したとの説を発表し、ドイツの考古学者 スパートは、9000年を9000月の誤りで、アトランティス島の消滅を紀元前1200年頃と計算しています。

 現在では、アトランティス島は、エーゲ海に浮かぶサントリーニ島であり、火山の大噴火で島の大半が崩壊した事、その時発生した大津波が、ギリシア周辺を襲った事が判明し、アトランティス島は、サントリーニ島の事であるとの説が、ほぼ定説になっています。
しかし、現在でも「オリハルコン」が如何なる貴金属なのか、又、当時のサントリーニ島が、エーゲ海からアフリカ北部迄をその版図に置いた事、自給自足の物資、軍隊等説明できない部分も多い事も事実なのです。

続く・・・
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