歴史の?その32
<カースト>
今回の記事には、一部不快感を招聘する表現が在ります。

カースト制度は、インドの長い歴史を通じて、その社会の大きな特徴と成り、現在に於いても尚、厳然と存在しています。
私達が、教えられた“士農工商”の様な四姓制度の様に単純なものでは無く、カースト制度は細分化されたもの迄数えれば、2500以上に上ります。
カーストの構成員は、他のカーストと結婚する事は出来ず、その種類によっては、他のカーストの人々と食事をする事も、調理して貰う事も出来ないうえ、それぞれのカーストには、祖先伝来の職業が存在し、其れを世襲する事が義務づけられていました。
この他、一つのカーストに独特の掟を持つ例も少なくなく、中には、海を越えてはならないと定められて者も在り、このカーストに属するものが、兵役に就いた場合、海外への遠征は出来ません。
これを反抗と見なし、イギリス軍が銃で弾圧した事件(1824年)も発生した程でした。
更に一般のカーストの他に不可触賤民(アンタッチャブル)が存在し、彼等はパリアと呼ばれ、鈴を付ける事を強制した地方も在りました。
こうした差別からの解放に、尽力したのが、マハトマ・ガンジーで、彼等を「ハリジャン:神の子」と呼び、不断の運動によって、少なくとも、法律の上では、差別を撤廃され国会の議席も与えられる様に成りました。
インド社会に特有なカースト制度、その極端な階級格差は、どの様にして起こったのでしょうか?
一般にアーリア人のインド征服によって、生じたと説明されています。
アーリア人の祖先は、紀元前2000年頃、中央アジアから西北インドに移住し、先住民族を征服しつつ、紀元前1000年頃には、ガンジス河流域迄進出します。
その間、アーリア人の社会では、神に仕える僧侶バラモンを頂点に、王族、武将階級で在るクシャトリア、庶民階級ヴァイシャ、征服奴隷階級のシュードラの四姓制度が成立しました。
何故、インド社会に於いてのみ、こうした厳格な階級制度が発生したのでしょうか?
同じアーリア人の別派は、イランに入り現在のイラン人と成り、又同系に人々は、ヨーロッパに広がって、現在の欧米人を形成しています。
古代に於いてもカーストの区別は、四姓だけでは無く、幾つものカーストが存在し、古代法典(マヌ法典)では、是を不正な婚姻から生じたものと説明しています。
アーリア人の勢力が拡大するに連れて、多くの異民族と通婚が生じ、違った階級の結婚も当然、発生するでしょう。
更に社会生活が複雑に成れば、職業も細分化し、されが又カーストを分化せしめたのでした。
職業には、不浄と考えられるものも在り、其れに従事する者が、下層カーストとされ、或はカースト外の賤民とされていったのです。
仏教の様に、カースト制度を否定する宗教も興りましたが、インドでは、終に仏教も主流の教えとは成りません。
4世紀にグプタ朝が興り、広く民衆に広まったのが、ヒンズー教で、古代のバラモン教を中心に、各地の民間信仰の神々を取り入れた、ヒンズー教は、全インドのあらゆる種族、あらゆるカーストの間に信仰される様に成りました。
しかし、バラモン階級の権威は、揺るがず依然として、カーストの頂点に君臨し、他のカーストも温存され、更に細分化されて行きました。
11世紀には、イスラム勢力の侵入が始まり、16世紀には、ムガール帝国が成立し、ほぼ全インドを制圧し、イスラムの支配は、ヒンズー教徒を圧迫します。
社会の表面から消えたヒンズー教徒は、被征服民族としてその伝統を守り続けたのです。
やがてイギリスのインド統治時代を経て、第二次世界大戦の終結後、インドは独立を達成するものの、イスラム教徒は分離して、パキスタン(東西パキスタン:現バングラデシュとパキスタン)を形成しますが、インドのカースト制度は残ったのです。
近代文明は、カースト制度を切り崩して来た事も事実で、上水道が発展すれば、誰も同じ水を飲み、鉄道が発展しれば、如何なる人とも同席しなければ成りません。
学校、職場、そして新しい産業に従事し、現代の都市に生活して行く限り、飲食や職業の制限は、問題に成らなくなりました。
其れでも、カースト制度は、尚根強く存在し、社会生活の表面から離れた身近な地域集団の中において、その習慣の面において、カーストは強く守られています。
「ヒンズーがカースト制度に執着しつづけてゆく限り、インドはインドである」
続く・・・
今回の記事には、一部不快感を招聘する表現が在ります。

カースト制度は、インドの長い歴史を通じて、その社会の大きな特徴と成り、現在に於いても尚、厳然と存在しています。
私達が、教えられた“士農工商”の様な四姓制度の様に単純なものでは無く、カースト制度は細分化されたもの迄数えれば、2500以上に上ります。
カーストの構成員は、他のカーストと結婚する事は出来ず、その種類によっては、他のカーストの人々と食事をする事も、調理して貰う事も出来ないうえ、それぞれのカーストには、祖先伝来の職業が存在し、其れを世襲する事が義務づけられていました。
この他、一つのカーストに独特の掟を持つ例も少なくなく、中には、海を越えてはならないと定められて者も在り、このカーストに属するものが、兵役に就いた場合、海外への遠征は出来ません。
これを反抗と見なし、イギリス軍が銃で弾圧した事件(1824年)も発生した程でした。
更に一般のカーストの他に不可触賤民(アンタッチャブル)が存在し、彼等はパリアと呼ばれ、鈴を付ける事を強制した地方も在りました。
こうした差別からの解放に、尽力したのが、マハトマ・ガンジーで、彼等を「ハリジャン:神の子」と呼び、不断の運動によって、少なくとも、法律の上では、差別を撤廃され国会の議席も与えられる様に成りました。
インド社会に特有なカースト制度、その極端な階級格差は、どの様にして起こったのでしょうか?
一般にアーリア人のインド征服によって、生じたと説明されています。
アーリア人の祖先は、紀元前2000年頃、中央アジアから西北インドに移住し、先住民族を征服しつつ、紀元前1000年頃には、ガンジス河流域迄進出します。
その間、アーリア人の社会では、神に仕える僧侶バラモンを頂点に、王族、武将階級で在るクシャトリア、庶民階級ヴァイシャ、征服奴隷階級のシュードラの四姓制度が成立しました。
何故、インド社会に於いてのみ、こうした厳格な階級制度が発生したのでしょうか?
同じアーリア人の別派は、イランに入り現在のイラン人と成り、又同系に人々は、ヨーロッパに広がって、現在の欧米人を形成しています。
古代に於いてもカーストの区別は、四姓だけでは無く、幾つものカーストが存在し、古代法典(マヌ法典)では、是を不正な婚姻から生じたものと説明しています。
アーリア人の勢力が拡大するに連れて、多くの異民族と通婚が生じ、違った階級の結婚も当然、発生するでしょう。
更に社会生活が複雑に成れば、職業も細分化し、されが又カーストを分化せしめたのでした。
職業には、不浄と考えられるものも在り、其れに従事する者が、下層カーストとされ、或はカースト外の賤民とされていったのです。
仏教の様に、カースト制度を否定する宗教も興りましたが、インドでは、終に仏教も主流の教えとは成りません。
4世紀にグプタ朝が興り、広く民衆に広まったのが、ヒンズー教で、古代のバラモン教を中心に、各地の民間信仰の神々を取り入れた、ヒンズー教は、全インドのあらゆる種族、あらゆるカーストの間に信仰される様に成りました。
しかし、バラモン階級の権威は、揺るがず依然として、カーストの頂点に君臨し、他のカーストも温存され、更に細分化されて行きました。
11世紀には、イスラム勢力の侵入が始まり、16世紀には、ムガール帝国が成立し、ほぼ全インドを制圧し、イスラムの支配は、ヒンズー教徒を圧迫します。
社会の表面から消えたヒンズー教徒は、被征服民族としてその伝統を守り続けたのです。
やがてイギリスのインド統治時代を経て、第二次世界大戦の終結後、インドは独立を達成するものの、イスラム教徒は分離して、パキスタン(東西パキスタン:現バングラデシュとパキスタン)を形成しますが、インドのカースト制度は残ったのです。
近代文明は、カースト制度を切り崩して来た事も事実で、上水道が発展すれば、誰も同じ水を飲み、鉄道が発展しれば、如何なる人とも同席しなければ成りません。
学校、職場、そして新しい産業に従事し、現代の都市に生活して行く限り、飲食や職業の制限は、問題に成らなくなりました。
其れでも、カースト制度は、尚根強く存在し、社会生活の表面から離れた身近な地域集団の中において、その習慣の面において、カーストは強く守られています。
「ヒンズーがカースト制度に執着しつづけてゆく限り、インドはインドである」
続く・・・
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