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2009/11/14

歴史の?その39・序文

<市民革命>

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 イギリスでは、1649年ピューリタン革命が起こり、スチュアート家による絶対王政が打倒されます。
間もなく王制は復活するものの、1689年には、再び名誉革命が起こり、立憲君主制が確立されました。
アメリカ大陸では、1775年独立戦争が勃発し、1776年に終結を見、1783年に正式にアメリカ合衆国として独立を承認されました。
アメリカ独立運動は、宗主国イギリスからの独立ですが、この独立戦争でその大きな戦力と成ったのは、中産階級や自営農民であり、彼らは政治的独立を獲得する事によって、社会的変革を企てたのでした。

 フランスに於いては、1789年「フランス革命」が起こり、ブルボン家の専制政治を市民勢力が打倒します。
この様に各国で、相次いで発生した、革命運動は、何れも国王の絶対的支配に対する、市民階級の不満が増大したした結果であり、「市民革命」と呼ばれます。

 フランスでは、革命と其れに続く混乱の中から、ナポレオンを現れ、彼はやがて、共和国の統領となり、更には皇帝にとして即位すると、独裁政治を断行しましたが、本来の革命の意味を否定した訳では無く、封建的特権の復活を認めず、革命の精神を尊重しました。

 ナポレオンは、次々と軍事行動を展開し、ドイツ、オーストリア、イタリア等中部ヨーロッパ以西の国々をその勢力下に置き、ヨーロッパ諸国には、対フランス同盟の結成をめざし、ナポレオンに対抗したイギリスを屈服させる目的で、エジプト遠征を行い、「大陸封鎖令」を発します。

 しかし、この「大陸封鎖令」に直面して経済的疲弊を生じたのは、むしろ大陸諸国であり、ナポレオンに対する反抗が、これら諸国によって企てられます。
ナポレオンが、ロシア遠征を企てたのも、この経済的疲弊打破が主たる目的ですが、ロシアの厳冬に阻まれて失敗し、ナポレオン没落の第一要因と成りました。
この期間、ロスチャイルド家は、その莫大な資金力を持って、常にイギリス政府を支援します。

 このヨーロッパの混乱から大西洋を隔てた、新興国家アメリカは、繁栄を続けており、北部では工業が発展したにも関わらず、南部では奴隷を使用した大規模綿花栽培が中心の、農業圏であり北部、南部の利害関係がしばしば対立します。
1860年、奴隷制度廃止を訴えたリンカーンが、第16代アメリカ合衆国大統領に就任し、翌年「南北戦争」が勃発するものの、北軍の勝利に終わり、その後アメリカは、経済的に急激な発展をして行きます。

続く・・・
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