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2009/11/24

歴史の?その49

<アドルフ・ヒトラーの最後・前編>

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 1945年4月、第二次世界大戦も終結に近づいていました。
4月27日には、ファシスト共和国首相 ベニト・ムッソリーニが逃亡先のコモ湖畔で、パルチザンに逮捕され、ミラノ市に連行、即日銃殺刑に処された後、その広場で、愛人のクララ・ぺタッチ他数人の側近と供に逆さまにつるされ、多くの人々から屈辱を受けました。
この姿は、映画フィルムに納められ、現在でも見ることができます。

 しかし、この同じ月の30日午後に自殺した、ドイツ第三帝国総統 アドルフ・ヒトラーの死に関しては、曖昧な点が数多く存在し、その死亡を疑う研究者は、現在でも存在します。

 第二次世界大戦が終結した、1945年秋の段階でも、ヒトラーの戦死説、暗殺説、航空機、潜水艦による逃亡説が流布し、バルト海の孤島への逃亡、スペインの修道院、南アメリカの農場等、諸説紛々になる程、彼の最後の状況は、解かり難いものでした。

 1945年、ベルリン陥落迄の経過を、簡単に示すと以下の様になります。

 1945年1月20日、赤軍は東プロイセンに侵入、初めてドイツ領内へ進撃し、同年4月16日に開始された、ベルリン侵攻作戦により、ドイツの生命線と言われた、オーデル川・ナイセ川線、更にゼーロウ高地を突破され、同年4月25日、ドイツ第三帝国の首都ベルリンは、ゲオルギー・ジューコフ元帥指揮下のソビエト軍に完全包囲されました。
陥落は時間の問題と思われましたが、これを守備するドイツ国防軍、武装親衛隊やヒトラーユーゲントの頑強な抵抗に遭遇し、ソビエト軍は市街地の建物を一つ一つ制圧するような形で、侵攻せざるを得ませんでした。

 5月2日、ドイツ軍のベルリン防衛軍司令官ヘルムート・ヴァイトリングの降伏により、ベルリンはソビエト軍によって制圧され、ライヒスタークに赤旗が翻り、ソビエトは正式にベルリン占領を発表、ここにドイツ第三帝国は崩壊し、ヨーロッパの戦いは終結します。

 ヒトラーの後継者、カール・デーニッツ提督は、ヒトラーの戦死を発表したものの、この後死亡報道が二転三転し、ソビエト側の死亡疑問⇒死体発見・解剖と歯型鑑定⇒イギリス亡命説と混乱を呈します。

 イギリス軍情報部とアメリカ軍情報部は、協力体制を取り、ヒトラー死亡の真相を調査にあたります。
この中心人物が、歴史学者で、当時イギリス軍情報部に勤務していた、トレヴァー・ローパーでした。

 ローパーは、1945年4月30日、ヒトラーの死に至る時迄、彼の側に居合わせた人々を入念に調査し、彼らからの聞き取り調査を繰り替えし、ヒトラーの最後を克明に知る事ができました。
ローパーは後に、この時の調査結果を「ヒトラー最後の日」と題して出版し、我国でも翻訳された事から、私達は、1945年4月30日ドイツ第三帝国総統官邸における、ヒトラーの最後の様子を知る事ができます。

以下後編に続く・・・
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