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2009/11/25

歴史の?その50

<アドルフ・ヒトラーの最後・後編>

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 ソビエト軍に包囲された、ベルリンは当に陸の孤島でした。
1945年4月29日、アドルフ・ヒトラーは、盟友ベニト・ムッソリーニ死亡報告を受けます。
その時、彼はベルリンに在る総統官邸の地下防空壕に踏み止まり、戦闘指揮を続けていました。
しかし、ベルリンはソビエト軍によって、殆んど制圧占領され、戦闘の勝敗は既に絶望的な状況でした。

 その日、ヒトラーは、愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げ、明けて4月30日、彼は側近の者を集めて昼食の後、その会席者一人一人と握手を交わして、別れを告げます。
その後、ヒトラーは自室に入り、後にエヴァ・ブラウンが続き、間もなく一発の銃声が轟きました。
ヒトラーは、ピストルにより自殺を遂げ、エヴァは毒薬を飲んで、彼の側で事切れていました。
銃弾は、ヒトラーの口から、頭部を貫通しており、ソファと背後の壁は、紅く染まっていたと云われています。

 ヒトラー夫妻の遺骸は、総統官邸の庭で、180リットルのガソリンをかけて荼毘に伏されました。
その時、既にソビエト軍の先遣部隊は、総統官邸の直ぐ近く迄接近しており、機関銃弾や砲弾は、標的を誤らずバラバラと官邸周辺に降り注ぎます。
その極めて危険な状況の中で、夫妻の火葬は遂行されたのでした。
ヒトラーはムッソリーニの悲惨な死に様を聞き、昔から独裁者の最後を知っていた彼は、自分の遺骸を跡形も無くする事で、はずかしめを受けない事を望んだのだと思います。
そして、後継者カール・デーニッツ元帥は、ヒトラー総統の戦死を発表するのです。

 1945年5月2日、総統官邸を占領したソビエト軍は、即座にヒトラーの遺骸を掘り返します。
官邸の庭には、ヒトラー夫妻以外にも、爆撃や戦闘で死亡した多くの将兵の死体も在りました。
総統官邸占領直後、その管理は、ソビエト軍からソビエト情報機関の手に移り、以後連合軍がベルリンに入城した時は、総統官邸に残された物は殆んど無く、内部情報は殆んどソビエト情報部によって持ち去られた後でした。
さて、占領直後から、ソビエト情報部は、ヒトラーの歯科医や技工士を拘束し、ヒトラーの遺骸を確認し、是をモスクワに送ります。

 しかし、時のソビエト連邦最高指導者 ヨゼフ・スターリンは、自ら“最悪の宿敵”と称したアドルフ・ヒトラーの死亡を信じておらず、その為も有ってソビエト連邦政府は、ヒトラーの死亡確認を公表せず、又ヒトラーの遺骸の所在は、現在でも発表されていません。
第二次世界大戦終結後、西ドイツ首相アデナウワーは、最高裁判所にアドルフ・ヒトラーの死亡確認書を発行させ、亡き総統の失われた遺骸の埋葬という行事を挙行しましたが、ヒトラーの遺骸が旧西ドイツ側に存在する訳では有りません。
現在においても尚、熱狂的なヒトラー崇拝者が存在している以上、現ロシア政府も発表を躊躇い続ける理由の一部ではないでしょうか?

 20世紀末、ヨーロッパの社会主義国家群は、その社会体制の激動激変期を迎え、ソビエト社会主義共和国連邦も民主化の要求に屈し、独立国家共同体と成った現在、アドルフ・ヒトラーの最後は、ローパーの著作のお陰で判明しました。
しかし、近年でも元ナチスの高官がアルゼンチンで逮捕された事例も存在し、第二次世界大戦当時中立国であった、フランコ総統統治下のスペインに、逃亡した事例も多々存在する事から、戦争末期のヒトラー生存説は根強く、是に拍車を掛けるように、遺骸の場所すら公表されない事も何時しか、アドルフ・ヒトラーを伝説中の人物にしたのではないでしょうか?

先史時代から、色々なエピソードを都合50回に渡って、紹介してきました。
人物、事柄に的を絞った記事は、今回で取り敢えずお仕舞いです。
明日から、各時代を総括した、記事を載せていきたいと思います。
もうしばらく、お付き合い下さい(^^)。
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