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2009/12/02

歴史の?その56

<ローマ帝国の興亡>

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 ローマ帝国もギリシアと同様に都市国家から始まり(ロムルス・レムスの伝説的起源説では、紀元前753年)、イタリア半島の諸都市を次々と併合して、半島を統一、その後はシチリア島の併合を最初として、その版図は地中海全域に及んで行きました。

 ローマ帝国の領土が広がると共に、国内外の矛盾が大きくなり、紀元前2世紀後半からの約100年間は混乱の時代を迎えます。
特に大きな対立は、元老院派と平民派(マリウス、スルラの権力闘争)の対立、奴隷反乱(スパルタクスの反乱)が起こりました。

 紀元前60年、反元老院派の有力者3名(カエサル、ポンペイウス、クラッスス)は、“三頭政治”を始め、その一人、ユリウス・カエサルはガリア(フランス)、ブリタニア(イギリス)をも版図に加え名声を上げます。
是を嫉んだポンペイウスは、元老院と結託し、カエサルに軍隊を武装解除の後帰国する様、命じます。
しかし、カエサルはそのまま、軍を率いて「ルビコン川」を渡りローマに凱旋、更にポンペイウスを倒してしまいます。

 カエサルの名声は、更に高まりますが、彼は独裁者に成ろうとしていると疑われ、ブルータスに元老院で暗殺(紀元前44年)されました。
カエサルの後継者と成った、甥のオクタヴィアヌスは、帝国内の混乱を平定し、カエサルの暗殺を教訓として、皇帝の称号を辞退しましたが、元老院は「アウグストウス(尊厳者)」の称号を送り(紀元前27年)、事実上帝政が始まりました。

 帝政の前半200年間は、ネロの様に“暴君”と云われる者や、暗君も在位した時期も在りますが、比較的賢帝が多く、帝国は極めて安定的に統治され「ローマの平和(パックスロマーナ)」と後に云われる時代が続きました。
しかし、その後は軍隊の権力が強大となり、“軍人皇帝”等が続出し、又内乱の多発により、ローマ帝国は、395年東西に分裂します。

 ローマ帝国分裂の少し前から、アジアからヨーロッパにかけて「民族大移動」が始まり、ゲルマン民族がローマ帝国領内に移住し、最初は、ローマ帝国の末端を担う労働力となったものの、後には、傭兵隊長の一人、オドアケルが自らイタリア王を名乗り、西ローマ帝国は467年滅亡します。
 
内容解説
歴史の?その18 ルビコン川はどこの川なのか
歴史の?その19 ネロははたして暴君だったのか

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コメント

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はじめまして

歴史の話はおもしろいですね。
おもに日本史が好きなんですが
世界史もおもしろいです。
思わず読み入ってしまいました。

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