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2010/01/28

歴史の?その104

<北極海に挑んだ船乗り:前編>

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 極北の海に舞う水飛沫は、空中で凍り、船の外部は凍りついており、氷片は刃物の様に鋭利で、衣類を切り裂き、手袋をはめずに不用意に手すり等を握ろうでもしようなら、手のひらの皮が手すりに張り付きました。
勿論、船から海中への転落は、間違いなく死を意味していました。

 この海は、現在バレンツ海と呼ばれ、ほぼ400年前、この海に挑んで死んだ、オランダ人探検家ウィレム・バレンツの名前と取って名付けられました。

 1597年6月13日、激しい西風が、凍てついた島に吹き付け、間に合わせの非難小屋の中で、一人のオランダ士官が、この様に記録しました。
「我々の中で、もっとも優秀で頑強な者でさえ、長期間耐えてきた厳しい寒さや病気の為、すっかり衰弱し、半分の力しか出せなくなっている。これから先、長期の航海を強いられる事を考えれば、事態は良くなるよりも、ますます悪くなると思われる。食料は、せいぜい8月の終わり迄しか持たないだろう」
この手紙の署名は、船長ヘームスカーク、水先案内人ウィレム・バレンツと乗組員一同となっていて、小屋の煙突に詰め込まれていました。
この後、15人は2隻の小船に分乗して、海へと漕ぎ出したのです。

 この手紙は、それからほぼ300年後の1871年、ノルウェー捕鯨船の乗組員が、ノバヤゼムリャ島に上陸して発見しました。
そして、手紙の内容は、冷酷無残な北極海を相手に闘った、人間の苦闘の歴史を、改めて思い起こさせるものでした。

 バレンツは、インド亜大陸に至る、幻の「北西航路」を発見する仕事を、オランダ商人から依頼され、水先案内人となり、2隻の船で1596年5月に出帆しました。
スピッツベルゲン諸島を通過した所で、流氷群が北への道を閉ざしていた為、針路を東に転身し、ノバヤゼムリャ島の北端を回る事にしましたが、このルートを以前にも1度経験していた、もうい1隻の船の船長ヤン・ライプは、この針路転身を危険として、同行を断りました。

後編へ続く・・・
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