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2010/02/03

歴史の?その110

<リビングストン博士とアフリカ大陸:前編>

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 デービット・リビングストン博士は、地球上の未知の世界に次々と新しい光を当てて行きました。
博士程、多くの地域を人類に紹介した人物は、他に居ないと思います。
博士の成功の鍵は、強烈な信仰心と薬箱と、誰に対しても変わらぬ態度でした。

 博士が、アフリカにやって来たのは、全くの偶然に過ぎませんでした。
1813年、スコットランドのブランタイアで生れ、10歳の時、紡績工場に働きに出され、1日12時間も労働して、学費を稼ぎ、グラスゴーの医学校を卒業すると、医療伝道師として中国に渡りました。

 しかし、博士の夢と希望は、アヘン戦争の前に空しく消し飛び、この戦争の結果、中国に於いて、医療伝道活動を続ける事は不可能で、1840年、彼はアフリカ行きを決心します。
この時、27歳でした。

 19世紀に於いても、広大なアフリカ大陸のその大部分は、未知に世界で有り、欧米の人々にとって、其れはまさしく「暗黒大陸」で、人が足を踏み込む事が出来ない、疫病のはびこるジャングルに、原住民や未知の猛獣が住んでいる世界だったのです。

 博士が初めて、アフリカに赴いた時、探検に関心は有りませんでした。
キリスト教伝道団を組織して、医療奉仕を行う事がその第一目的でしたが、数年の内に“旅行熱”に取り付かれました。
後に博士が書いている言葉を借りれば、「未開、未探検の国を旅するという単なる喜びが、非常に大きかった」のです。

◎未知の世界の探検

 徒歩で、又はカヌーに乗り、時には水牛の背に跨り、アフリカ大陸南部の各地を巡り、この旅にはいつも薬箱と聖書、そして伝道に使用する、幻燈機を携えていました。

 博士は素晴らしい語学力を持ち、観察力や洞察力も鋭く、アフリカの人々とも、当時の白人としては、極めて親密でした。
この様な人柄でしたから、知性豊で同情的な眼で、アフリカの文化に接する事が出来、其れを外部の世界に、初めて紹介する事が出来たのだと思います。

 彼は、アラブやポルトガル商人が行っていた、おぞましい奴隷売買の実情を世界に知らせ、自分の眼で見た、この悲惨な実情にショックを受け、生々しい実地報告を行い、ヨーロッパの世論を湧き立たせ、奴隷商売廃止の運動を起こさせました。

 その上、博士は、詳細な海図や地理学的な報告を、ロンドンの王立地理学会に送った他、珍しい病気や保健問題に関しても、詳細な記録を作りあげました。
やがて、博士は、アフリカをキリスト教の土地にする為には、アフリカ人自身に行わせる以外の方法は無いと確信する様に成りました。
白人の成すべき事は、利益の大きな奴隷商売に変わる商売を、アフリカに持ち込んでやる事であると考えたのです。

中編続く・・・
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