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2010/02/04

歴史の?その111

<リビングストン博士とアフリカ大陸:中篇>

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 博士は、医療伝道師としての役割を放棄した訳では在りませんでしたが、1851年のザンベジ川発見は博士の生涯における、大きな転機と成りました。

 博士は、1844年に伝道団仲間の女性と結婚し、数人の子供を設けましたが、その内の一人が、まだ幼児のまま熱病に感染して死亡すると、心配の種を根絶する為、家族をケープタウンに連れて行き、其処からイギリスに送り返してしまいます。

◎アフリカ横断

 一人に成り、自由の身に成った博士は、六分儀とクロノメーターの使用方法を学ぶと、航行可能な大きな水路を探索し始めました。
この様な水路が、発見出来れば、ヨーロッパ人の前にアフリカの門戸は開き、キリスト教も商売も活発に成ると考え、其れから数年間に、博士は、大西洋岸のアンゴラからモザンビーク海岸迄行き、アフリカ大陸を横断した最初の白人と成りました。
1856年、イギリスに一時帰国した時は、熱狂的な歓迎を受け、初めての著書「南アフリカ伝道旅行記」は、忽ちの内にベストセラーと成ります。

 間もなく、博士は、アフリカに戻り、今回は、東アフリカ担当の”陛下の領事“として、伝道団と離れ、産業化を目的とした大遠征隊を率いていました。

 しかし、博士は、遠征隊の数々の問題を抱えて、身動きが取れなく成り、荷物を運ぶ人員の大部分が脱落した事や、何トンにも及ぶ食料、装備、更には政府から給付された、大きな川舟が隊の足枷に成ったのです。
最大に問題は、リビングストンに指導力が欠落していたうえ、頑固で仲間のイギリス人との関係は、崩壊寸前迄に成っていました。
遠征隊は、終に1863年、解散してしまいます。

◎ナイルの源流を求めて

 1866年、博士は再び、王立地理学会の依頼でナイルの源流を探索する、探検に出発します。
博士は一人に成れた事を喜び・・・もっとも極少数のアフリカ人従者が居ましたが・・・ましたが、博士自身の体がマラリア、赤痢等の病気に罹り、衰弱していきます。
しかし、ナイルの源流を突き止め様とする、決意は変わらず、タンガニーカ湖周辺の分水嶺を調査中に食料も尽きはて、博士一行は、ウジジの町で休養を取らざるを得なく成りました。

後編に続く・・・

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