<サハラが緑だった頃:後編>
◎タッシリへの探検 ブレナンが描いたスケッチに、強い印象を受けた人物の一人に、フランスの探検家・人類学者のアンリ・ロートがいます。
彼は直ちに、タッシリへと旅立ちました。
其れから数年後、ロートはフランスのアカデミーや政府機関の援助を得て、画家と写真撮影チームを編成し、タッシリへと再び旅立ちました。
1957年迄にロートのチームは、1500㎡に及ぶ壁画の模写と写真を、パリに持ち帰る事ができました。
乾燥した砂漠の空気の中に、幾つかの時代の記録が、保管されていました。
最も古いものは、色の黒い多分ネグロイドと思われる人々が、弓と矢、槍を使ってキリン、サイ、象等を狩立てる様が描かれ、其処には、巨大な、半分人間にも見える形をした、神と推測される、ぼんやりとした白い姿が見受けられます。
◎侵入者の肖像 宴会の場面、婚礼の儀式、穀物をついて粉を作っている女性、小屋を立てている場面、飼い犬を連れた家族、動物の毛皮を掛けて眠る子供達、その他の家庭生活の情景も見られます。
紀元前5000年から4000年の間に、次第にこの人々に変わって、皮膚の色がもう少し薄い、銅色の肌を持った人物が登場してきます。
この新しい侵入者達も、自分達の肖像画をこの画廊に書き加え、羊、キリン、レイヨウ等の狩猟場面を描きました。
更に時代が下って、紀元前1000年代頃の絵には、チュニック状の着衣を着け、馬の引く戦車に乗った兵士が見られます。
現在でも推測の段階ですが、彼らは古代エジプトの記録に存在する、クレタ乃至小アジアからエジプトに侵入した「海の人」かもしれません。
闘いに破れた彼らが、リビアに逃れ、やがて遥か西方のタッシリ高原にやって来た、という可能性は充分に考えられる事です。
◎沈黙の世界 河川が干上がるに従って、タッシリの人口は減少し、壁画が新たに書き加えられる事は、殆んど無くなりました。
紀元前1000年頃、人々は忍び寄る砂漠に生活の場を奪われ、何処へと去って行きました。
そして、沈黙の世界が続き、砂漠の砂塵が見捨てられた、この土地を吹き抜け、世界の他の場所で、幾つもの国々が勃興、滅亡を繰り返した間、消え去った素晴らしい種族の肖像は、タッシリ・ナジュールの日に焼かれた岩壁から、むなしく虚空を眺めるだけでした。
本編終了・・・
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