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2010/02/19

歴史の?その125

<太陽王の宮殿:前編> 

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 一人の国王の虚栄心が、一国の財政を破局に追い込みましたが、私達はそのおかげで、異常なほどに壮麗な宮殿を現在でも見る事が出来ます。
その国王とは、フランス、ブルボン王朝のルイ14世、財政を破局に追い込んだ建築物とは、ベルサイユ宮殿の事なのです。

 ベルサイユ宮殿は、フランスの宮廷と政治の中心に成りましたが、そもそもの始まりは、狩猟用の質素な館でした。
ルイ13世はこの館を、宮廷の仕事や政務の煩わしさから、逃れる安息の場所として使用していましたが、1627年、この場所に小さな城を建てました。
ルイ13世の死後、息子の「太陽王」ルイ14世は、城を建て替え、壮麗な宮殿によって、自分の栄華を後世に伝え様と試みたのです。
1661年、造営工事が開始されましたが、世界で最も素晴らしい建物を建てる為に選んだ土地は、建築家にとって、当に悪夢の様な土地でした。
土壌が細かい砂の為に基礎の土台の一部は沈下し、その周囲は見渡す限り荒涼とした場所でした。

 ルイ14世は、建設作業を自ら監督する熱心さで、費用が幾ら掛ろうとも、国民の生活が如何に困窮しようとも、そして工事による犠牲者が幾人でようとも、一向に気に止める事は有りませんでした。
ベルサイユ宮殿造営の現場では、1日3万人以上もの人間が工事に携わりましたが、是等人間の多くは無報酬か、強制労働であり、更にその作業環境は劣悪を極め、伝染病が蔓延して、多くの人間が死亡しました。
流石にルイ14世も、余りの死者の数に多さに、廷臣がこの問題を口にする事を禁じた程なのです。

◎一流好み

 時間、創意、金銭が惜しみなく注ぎ込まれ、ベルサイユ宮殿造営現場は、フランスの建築工学の一大展示場となり、植樹が行われ、庭園造営の為、大理石、青銅の像が運び込まれ、時にはルイ14世はパリからフランス宮廷の総勢を引き連れて進捗状況を見聞した程でした。

 ルイ14世は自分の野望を満たす為に、当時フランスで最高の建築家を登用し、まず手始めにルイ・ボーが、ルイ13世時代の建物を改築する仕事にあたり、次いで1678年、ジュール・マンサールがこの仕事を引継ぎ、城の主要部分を改造し、両側に北ウイングと南ウイングを建設し、正面の全長600m、窓の数は375を数える迄に成りました。

◎水不足

 庭園の面積は100ha、造園にあたったのは、アンドレ・ルノートル。
ルイ14世は花を好み、毎年400万個ものチューリップの球根を輸入していました。
この庭園最大の呼び物は、テティスの洞窟と動物園の二つで、洞窟は小石と貝殻で覆われ、水力で作動するオルガンが内部に納められており、更に水が流れ出る仕組みも隠されていました。

 動物園にはエキゾティックな動物や鳥類が収集されており、更にルイ14世は全長1600m、幅60mの運河を掘削して、如何にも運河らしさを演出する為に、ゴンドラを始めとする色々な船が浮かべられました。
又、1684年、マンサールはオレンジの成木を輸入して、オレンジ園を作りました。

後編に続く・・・

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コメント

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見方で評価は様変わり

見方で評価は様変わり
歴史に名を遺す とは、一般庶民を苦しめることなのかも…
でも悪名高き人物にはなりたくないですよね
聖武天皇は
仏教を深く帰依し、国ごとに国分寺と国分尼寺建て、自ら写経し経文を納めた
また東大寺を建立し大仏を鋳造した
都を平城京から恭仁京⇒紫香楽宮⇒難波京⇒紫香楽宮⇒平城京へ
再三の都造営や諸寺院の建立事業の為に、国家財政は窮乏し人心は離反していった
仏教を広め大仏殿や各寺院、正倉院御物の至宝の数々を後の世に遺した天皇
ところが、当時の国民からすると役務を強いられ生活にも困窮させられた、とんでもない天皇ということになりますね
歴史とは、どの立場、どの視点で見るかで評価は様変わりしますね

見方で評価は様変わり

コメントありがとうございます。

ベルサイユ宮殿の工事での伝染病は残念な出来事。
ベルサイユ造営は、結果的にフランス革命の引き金の一つに成ったと思いますし、贅沢は国の財源を圧迫しましたが、フランス革命自体も必ずしも正当化されるものではありません。
あまりに多くの不必要な処刑や虐殺が行われすぎました。
個人的には革命より、ベルサイユの平和(ルイ14世時代)に、むしろ魅力を感じます。