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2010/03/03

歴史の?その136

<絹の国の貴婦人>

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 彼女は美人では無く、50歳前後で、太っていましたが、其れは多分美食の為だったのでしょう。
背中は曲がりぎみで、杖を使い、足が不住でした。

 しかし、大公夫人が紀元前150年頃、死亡した時、その埋葬は大変なものだったのです。
その為、1971年に馬王堆の彼女の墓が発掘された時には、あのツタンカーメンの墓が発見、発掘された時と同様な興奮を引き起こしたのでした。

 大公夫人は、現在の中華人民共和国中部に位置する、湖南省の長沙王に仕える丞相(首相)夫人でした。
2100年後に行われた検死解剖の結果、彼女には、動脈硬化の傾向が在り、激しい腹痛がもとで起きた、心不全の為に死亡した事が、明らかになりました。
激しい腹痛を招いたのは、無理も無く、彼女の胃からスイカの種が、138個も見つかりました(!)。

 ロマンティックな最後ではありませんでしたが、重要人物の妻の死に相応しく、彼女の葬礼は、ファラオの葬礼に匹敵する規模であったと考えられます。

 墳墓は、病院建設の基礎工事中に偶然発見されました。
三重の木槨が、白陶土と木炭の厚い層に周囲を包まれて、木槨の内部に外、中、内と三重の木棺が在り、遺骸はこの内部に収められ、2100年の歳月を越えて、驚くべき事に、つい昨日死んだ人物の其れの様に完全に保存されていました。

 遺骸は外側を、綿入れの絹の合わせで覆われ、其れを取り除くと、20枚の絹の袍に包まれ、9本の絹の帯で縛られていました。
外槨と中槨の間には、夥しい数の副葬品が置かれ、竹行李に納められた冬物、夏物の衣類や絹の鞋、手袋、12音律の竹管楽器、木製の琴、宇と呼ばれる古楽器、壺、杯、漆塗りの道具類、化粧用具等は、312枚の竹簡の目録に記載されていました。

 しかし、何よりも研究者の興味を引いたのは、絹製品でした。
夫人の生きていたのは、中国が絹の国としての名声が、当時知られていた世界の隅々迄広まった時代でした。
其れは、長い駱駝の隊商がヒンズークシ山脈を越え、サマルカンドを通りローマ帝国の市場へ、有名なシルクロードを進んだ時代でした。

 湖南省の馬王堆の墳墓から出土した絹製品は、並ぶ物の無い中国の絹の内でも、最高の絹と言える物で、50巻以上も竹行李の中に納められ、乾燥した空気によって、素晴らしい保存状態を保っていたのでした。
こうした遺品の中でも、最も素晴らしい物の一つは、葬列の先頭に立った絹の幟で、其処には天上界と地上界の情景が描かれ、中央には、大公夫人自身の姿が描かれていたのでした。

 古い時代には、来世迄主人に従って行く様に、従者が共に埋葬される習慣が存在しましたが、この墳墓には、殉死者は存在しませんでした。
代りに、彼女は、侍女や25弦の琴や竹笛を持った楽師等の162体の木製人形をお供に、黄泉の国に旅立っていきました。

 湖南省長沙市の東郊外、馬王堆で発見された漢時代の墓所は、この1号墓に引き続いて2号墓、3号墓が発掘され、貴重な書画を含む文書が出土しました。
現在、中国は積極的に自国の古文化の調査を、勢力的に推進しており、広大な国土は、まだまだ未調査の箇所も多く此れからも、如何なる発掘がなされるか、興味は尽きません。

続く・・・
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