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2010/03/11

歴史の?その144:密林の中の都:後編

<密林の中の都:後編>

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 王家のテラスは、国王や王妃、王子や王女、ライオンや象、ヒンズーの宗教物語の人物像で満たされ、極めて高度な文明社会のあらゆる活動を題材にした、彫刻も多数に及びます。
その造詣は、見事で一瞬、動きを止めた様に見える程なのです。

◎記念碑

 しかし、アンコールの最も崇高な記念碑は、城壁から1.5kmの処に在る、アンコール・ワット(大寺院)で、スールヤヴァルマン2世(在位1112年~1152年)によって建立されたこの寺院は、世界の寺院の中で、最も壮麗な寺院の一つに上げられています。
この国王の時代、クメール帝国はその繁栄の頂点に達しました。
アンコール・ワットは、全長6.5kmの正方形の堀に囲まれ、寺院は池や回廊、露台、廟、階段が複雑に入り乱れ、中央の礼拝堂を囲む回廊には、伝説やヒンズー教の聖典に題材を選んだ、躍動する様な彫刻を施された壁が、高さ2.5mで約800mの回廊を取り囲み、その上に三段の階層を成した寺院がそそり立ち、中央の65mの搭を含めて5基の搭が立っています。
この搭群が、アンリ・ムーオをアンコールの廃墟へと導いたのでした。

◎衰退

 スールヤヴァルマン2世の崩御から、25年後の1177年、現在のラオス方面から帝国に侵入した、チャム族によって、アンコールは占領され、略奪の対象と成り、その2年後、チャム族はヤショヴァルマン7世によって討伐されるものの、帝国の情勢は不安定なものに成って行きました。

 是から150年の間、クメール帝国は西方のタイ族(シャム族)北方のモンゴル族の侵入を受け、特にタイ族はアンコールを1369年、1388年、更に1431年の3回に渡って占領し、都市が如何なる防塁を築いても、既に防衛する事が不可能だったのです。

 アンコールを支えていた、米作の為の複雑な灌漑設備もその時破壊され、やがて首都機能は、1434年現在のプノンペン近郊に移され、アンコールは密林に遺棄されたのでした。

本編終了・・・
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