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2010/03/18

歴史の?その150:攻城戦②:火薬の要らない大砲

<攻城戦②:火薬の要らない大砲>

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 西洋世界では、火薬が使用され始めるよりも前から、軍隊は、様々な物を敵に向かって投げつける、飛び道具を備えていました。
最も強力な飛び道具の一つに、古代ギリシア人が使用した石弓が在り、約2kgの木製の矢を400m以上飛ばす事が可能でした。
西暦537年頃のローマ包囲戦の最中、あるゴート人の首長は、石弓の矢の直撃を受け、樹木にまさしく磔にされたと云う記録が残っています。

 この石弓を後方から支援したのが、投石器であり、現在の臼砲に相当する兵器です。
投石器は、敵に向けて発射するというより、敵の方向に「弾丸」を高く打ち上げて発射する兵器でした。
投石器は、梃の原理を応用した腕を持ち、その一方の端に弾丸を載せる受け皿が設けられました。
縄若しくは、動物の腱か生皮、時には人毛を用いて作られた、弾性のある綱の力と梃を応用して、弾丸を相当の長さで飛ばす事が可能でした。
この投石器と石弓は、12世紀迄、攻城戦の主力兵器として、使用されます。

 中世になると、投石器は更に梃の原理を応用して、天秤投石器に発展し、中には腕の長さ15m、10tの重りを用いて140kgの弾丸を、500m以上飛ばす事が出来る大掛かりな兵器と成りました。

 此処で「弾丸」に使用されたのは、石ばかりで無く、既に紀元前400年頃には、火を点けた液体燃料の壺(焼夷弾、燃料気化爆弾の前身)が現れ、7世紀には、まさにナパーム弾まで登場します。
是は、「ギリシアの火」と呼ばれ、硫黄と石油、生石灰の混合物で、何よりも恐るべき性質は、水を掛けると更に火力を増す事でした。
この「ギリシアの火」は。中世初期において、現在の核爆弾と同様、最終兵器と見なされ、西暦717年、レオ3世のコンスタンチノープル攻略作戦で実戦に投入され、恐るべき効果を上げたと云われます。

 現在の心理作戦に相当する戦術では、恐怖心を抱かせる手段として、敵の死体や生きたままの捕虜を「弾丸」に使用し、敵軍の真中に送り込み、細菌戦の発端とも言える、腐乱死体の投弾迄行われました。
西暦1422年のキャロルスティン攻防戦では、守備軍の頭上に荷馬車200台分の糞尿が浴びせかけられたと記録されています。
天秤投石器の最後記録は、西暦1480年ロードス島攻略作戦の時で、侵攻したトルコ軍は、重火器を備え防衛軍側は、圧倒的に不利でしたが、破れかぶれで天秤投石器を作り、トルコ軍の砲火を沈黙させました。(!)

 投石器は、黒色火薬の登場により、過去の兵器と成りました。
黒色火薬は、中国で最初に使用され、13世紀には、西洋世界にも知られる様になり、14世紀には、最初の大砲が製造されるのです。

補遺

アルキメデスの太陽光兵器

 2000年以上昔の数学者で、哲学者でも在ったアルキメデスは、太陽光を兵器として利用したと云われます。
紀元前215年と同212年、ローマ艦隊のシラクサ攻撃の時、彼は太陽光を反射させて、ローマ艦船に火災を起こさせたのです。

 しかし、この記録は研究者から無視されて来ましたが、1973年、ギリシア人イオニアス・サカス博士が、一連の実験を行い、その記録を再現する事に成功しました。
博士は、青銅を貼った50枚の鏡で太陽の光を反射させ、その反射光を一隻の船に集中させると、船は煙を上げやがて炎上したのでした。

 この実験を参観したアルキメデス研究の権威、エバンゲロス・スタマティス博士は、後日、アルキメデスの記録は事実であると語りました。

続く・・・
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