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2010/04/07

歴史の?その167:クリミア戦争の陰の英雄達

クリミア戦争の陰の英雄達

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 クリミア戦争の陰の英雄達。
当時、ヨーロッパ最精鋭のロシア騎兵隊を蹂躙した、軽騎兵隊は、賞賛され、栄誉を担いました。
又、フローレンス・ナイチンゲールは、看護婦として従軍し、英国野戦病院で看護活動を行い「クリミアの天使」と呼ばれました。
 
 しかし、陰の英雄達は、鉄道敷設に活躍した労働者達でした。
彼らは、何千人もの兵士を、敗北と死から救ったのです。

 1854年の晩秋、イギリス軍はクリミア半島の大海軍基地、セバストポリを包囲しました。
作戦の遂行が遅れ、更に敵情報への判断ミスから、ロシア軍の増援部隊派遣を許す結果と成りました。
しかも、ラグラン将軍指揮下の3万人の将兵は、その寒さと寒気がもたらす様々な身体的不遇に苦しめられます。

 嘗てナポレオンのロシア遠征軍を敗走に導き、後世には世界最強と詠われたドイツ軍機械化機甲師団をも駆逐した、ロシアの冬の寒さが、日増しに厳しさを加え、唯一の港であるバラクラバ港に通じるたった一本の道路は、終に通行不可能と成り、食糧、飲料水、衣料、医薬品、更には弾丸、弾薬の補給が困難に成ってしまいました。

 イギリス軍にとって幸いだった事は、鉄道建設の権威、サミュエル・モートン・ベローがイギリス下院議員として在籍していた事でした。
ベローは有志を募り、イギリス軍援助の為、利益を度外視して鉄道建設を行う事を提案。
作業員250人、工夫長と石工30人、大工80人、鍛冶20人、機関士10人から成る建設部隊を、クリミア半島に送り込む作戦を展開します。
この鉄道建設部隊は、軍隊とは異なる、民間鉄道建設隊として編成されました。

 鉄道建設部隊は、必用な物資を全てイギリスから持ち込みます。
つるはし、ショベル、ロープ等の軽装備から、クレーン、杭打ち機等の重装備、更にレール、機関車、貨車迄現地に運び込みました。

 鉄道部隊の隊員にとって、ロシアの厳冬は大きな問題には成りませんでした。
彼らは、アメリカ合衆国やカナダで、同様な環境の基に鉄道敷設工事を幾度も経験していたからでした。
建設部隊はまず、暖かい頑丈な作業員小屋を設営し、8kmの線路を敷設しますが、この工事に要した日数は10日足らずで、ヘンリー・クリフォード大尉の言葉を借りれば、この部隊は「イギリス軍の1個連隊が、1週間以上掛る仕事を1日で完了させる」事が可能だったのです。

 バラクラバ港からセバストポリを見下ろす丘迄の11kmに、複線の線路を敷設する作業は、6週間で完成した上、支線を含めた鉄道の総延長は45.6kmにも及び、この鉄道は開通と同時にイギリス・フランス両軍に引渡されました。
両軍はこの鉄道線路を経由して、1日平均112tの物資を輸送する事が出来ました。

 4月には、兵員、装備品の再補充も完了し、イギリス、フランス両軍の猛攻撃を受けたロシア軍は、9月にはセバストポリを放棄せざるを得ない状況に追い込まれ、結果はイギリス、フランス軍の勝利で、クリミア戦争は終結します。

続く・・・
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