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2010/04/21

歴史の?その178:シャーロック・ホームズのモデル・後編

<シャーロック・ホームズのモデル・後編>

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◎枝葉が大切

 推理や分析の為にシャーロック・ホームズが用いる方式は、ベル博士の信条の反映に過ぎませんでした。
「生徒達には常に、小さな違いの大きな意味、些細な事柄の果てしない重要性を、私は強調したのです」と、博士は以前語った事が在りました。
「例えば、手仕事というものは、それぞれ独自の痕跡を残します。
鉱夫の切り口は、石工の其れとは違い、大工の掌は、石工の其れとは異なります。
陸軍兵士と水兵では、歩きぶりが異なります」
観察能力に磨きをかける事は、医師や探偵の必要条件ですが、一般人も其れによって、単調な自分の生活を冒険と興奮の世界に変える事ができると、ベル博士は信じていました。

 或る日の午後、博士がエジンバラ王立病院の自室に居ると、誰かがドアをノックしました。
「どうぞ」と博士が、応えると一人の男性が、ドアを開けて部屋に入って来ました。
博士は、その男性を見つめて、「貴方は何を悩んでいるのですか?」と尋ねました。
男性は驚いて、「私が悩んでいると、何故判ったのですか?」と問うと、「4回ノックしたからです。普通の人間なら2回か、せいぜい3回ですからね」。
確かにこの男性は、悩んでいたのでした。

 この様なエピソードも伝わっています。
一人の外来患者の診察を終えた処で、博士はおもむろに言いました。
「貴方は、スコットランド高地連隊で兵役に就き、最近除隊に成りましたね」
「その通りです。先生」
「貴方は、バルバドス駐在の陸軍下士官でしたね」
「正しく、その通りです」

 ベル博士は、学生達の方に向き直って、「諸君、ごらんの通り、彼は礼儀正しい人間ですが、帽子を取りませんでした。
軍隊では、帽子を取らないものなのです。
もしも、除隊して長い期間が経っておれば、民間の作法に馴染んでいたでしょう。
バルバドスと見当をつけたのは、彼の病気が象被病だからで、この病気は西インド諸島の風土病であるからです」と解説しました。

 コナン・ドイルは、この日の出来事に大変強い印象を受け、後にシャーロック・ホームズの1篇「ギリシア語通訳」で再現しました。

 コナン・ドイルは、1881年にエジンバラ大学を卒業し、眼科医の看板を出したものの、患者に恵まれず、何とかして収入を得る必要から、作家に転向します。
エドガー・アラン・ポーの影響を受け、1887年に探偵小説を創作する為、新しいタイプの探偵像を作りださねば成りませんでした。

 「私は、ジョー・ベル先生の事を考えた」と、コナン・ドイルは自叙伝の中で回想しています。
「先生が探偵であるならば、この仕事をもっと綿密な科学的な仕事にされていただろう。
人間を利口おと言うはやさしいが、読者が望むのは、ベル先生が私たちに見せてくれた様な、具体的実例なのだ。
私は、主人公を何と名づけ様かと考えた」
彼は、シャーロック・ホームズと名づけました。
クリケット仲間の友人と、アメリカの法学者オリバー・W・ホームズの名前を借りたのです。

本編終了・・・
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