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2010/04/26

歴史の?その182:歴史書に語り継がれる伝説?:失われた大陸

<歴史に語り継がれる伝説②:失われた大陸>

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 失われた大陸や都市の物語は、何世紀も以前から人間の想像力をかきたてて来ました。
紀元前15世紀に、地震と津波によって破壊されたと云うアトランティス大陸の検証は、現在もなお続けられています。
しかし、もしも伝説が信用し得るものとすれば、それより遥かに大きな文明が2つも、自然災害の犠牲となり跡形も無く消えたのでした。
其れは、レムリアとムーの両大陸で、それぞれがエデンの園で在ったと信じられています。

 19世紀中葉の研究者達は、かつてレムリア大陸が現在インド洋と成っている広大な海域に存在したと主張し、数千キロも海を隔てた諸大陸に類似の植物・動物相が見られるのは、その為であると説きました。
レムリア大陸の命名者でもある、イギリスの動物学者P・L・スタレーターによれば、キツネザル(レムール・レムリア大陸の意味)は、アフリカ、南インド、マラヤとインド洋を取り巻く様に分布しており、之は大陸の中央部が波に飲まれた時、周辺部に分けられた為と、主張しました。
その故郷は、恐らくマダガスカル島からアジア南岸を経て東インド諸島に至る、広大な土地でした。

◎化石の証言

 この説は、南アフリカのナタールと南インドで共通の動物化石が発見されて、信憑性が強まりました。
19世紀の進化論者、例えば、イギリスのトマス・ハックスレーはレムリア実在説を支持し、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルは更に一歩進めて、消えた大陸は、「人類発祥の地で在ったと考えられる」と述べた程でした。
この考え方が発展して、レムリア大陸がエデンの園出あったと言われる、原因なのです。

 一方、ムー大陸は太平洋に存在したと、云われています。
1870年にムー大陸を世界に始めて紹介した、イギリス系アメリカ人、ジェームズ・チャーチワードによれば、この失われた大陸は、東西8000km、南北4800kmで、中心は赤道よりやや南に位置していたと説いています。

◎諸言語の源

 チャーチワードは1866年、若くしてイギリスインド派遣軍として、赴任します。
当時インドは、未曾有の大飢饉と成っていました。
其の時、一緒に救護活動を行っていた、或るヒンズーの高僧(リシと呼ばれる階級の高僧)が彼に、古代の言葉ナアカルを教えたと述べています。
この言葉は、全人類の話し言葉の源らしいと彼は、解釈しそれを紐解いて行く内に、ヒンズーの寺院の奥深くに所蔵された、古代の石版からムー大陸の事を始めて知ったのでした。

 石版に刻まれた物語は、次の様な物語でした。
人類は200万年前、ムー大陸に始めて出現し、進化の過程を経て、大陸には何時しか6400万人もの人間が生活する場所と成りましたが、その大陸は、僅か一回の巨大な火山活動で破壊され、海洋に没してしまいました。
そして、その僅かな生存者が、現代人類の母体と成っていったと説いています。

 レムリアもムーも、共に存在していたと考えても不自然では在りません。
地球上の大陸は、原始大陸パンゲアを始め、幾度もその姿を変えて現在に至っているのです。
数千km離れた大陸が、遥かな太古に一つで在り、遠く離れた土地に同種の動植物が繁茂、繁栄する事も同様なのです。
しかし、ここで重要な事は、大陸の移動、沈没は現在の学説に於いて、人類が地上に登場するよりも更に数百万年前のお話なのです。

続く・・・
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