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2010/05/17

歴史の?その195:正史の中の疑問②:夏の王朝は実在したのか

<正史の中の疑問②:夏の王朝は実在したのか>

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 「中国で最古の王朝は?」と問われた時、現在の世界史を学んだ方々ならば「殷」と答えるでしょう。
しかし、古書には、殷の前に夏と云う王朝が、存在し更に太古には、三皇・五帝と呼ばれる古聖王の時代が、存在すると記載されていました。

 勿論、現在では三皇・五帝の伝説をそのまま歴史上の事実として、信じる人は居ないと思います。
特に三皇・五帝の最後の二人、堯、舜は、儒家の人々が最も尊信する王でありました。
以前、国民党政府時代、堯、舜を伝説とした歴史書は、発禁指定をされたのですが、「学者の討論は自由であるが、民族の誇りを傷つけ、国家の不利を回避できない」との理由であったと云われています。
民族の誇りとは、架空の伝説によって成立するものでは無く、正しい理性の上にこそ構築されるものである事を、本当の愛国者は理解しており、学者達も弾圧に屈す事無く、伝説批判を進めました。

 堯は、天体の運行を定め、暦法を確立した事は、「天」の思想の反映です。
堯から位を譲られた舜は、父母に仕えて幸の道を尽くし、官制を整えた事は、「人」の徳を示したものです。
更に舜から位を譲られた禹は、黄河の治水を行った事は、「地」の功を表しています。
五帝は、五行の思想「木火土金水」から導き出されたもので、三皇は、三才の思想(天地人)から考えだされたものなのです。

 歴史家の中で、懐古派と呼ばれる人々は、この様にして堯・舜・禹を史実から抹消していきました。
その禹が開いた王朝こそが夏王朝で、17代を重ね、桀王の御代に殷の湯王に滅ぼされて事になっています。
続く殷の時代も夏の歴史の繰り返しが多く、その伝える所も史実として受け入れがたい点も少なくない為、一時は殷の存在も疑問視される結果となりました。
しかし、殷王朝は、確かに実在し、その事は、殷墟の発掘によって明らかとなり、古文書に記された殷の王系も、甲骨文字の研究と共に正確である事が、証明されています。
現在の定説では、殷王朝の始まりは、紀元前1600年頃、その滅亡は、紀元前1020年から1040年頃と見られています。

 では、殷王朝の前に夏王朝が存在したのか?と言う点では、現在も研究が続いていますが、夏王朝の存在を推測させる遺構等が未だ発見されていない事も事実です。
この様な考え方に対し、古伝説を再検討し、考古学の調査結果をも利用しつつ、夏王朝の存在を認め様とする学説も現れ、夏王朝の開祖禹王に関しては、その功を孔子も論語に於いて称え、古詩を集めた詩経には、彼を詠った詩も少なくない事、後年、杞国は、夏王朝の子孫と信じられていました。

 もし夏王朝が実在したと仮定すれば、その最盛期、河南省東部から山西省西部にまたがる国で在り、その地域には、殷代の遺構の下に又、別の遺構が分布している事が、最近の調査で明らかとなり、そして、夏王朝は、殷の侵入によって、山西省南部に遷都したのではないでしょうか?
現在に於いても夏王朝の存在は、立証されていませんが、嘗て、殷墟で見つかった甲骨文字の研究から、殷王朝の存在が立証された様に、何かの発端で夏王朝の存在が、立証される時が来る事を願います。

続く・・・

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