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2010/05/21

歴史の?その199:正史の中の疑問⑥:曹操は悪人だったのか・後編

<正史の中の疑問⑥:曹操は悪人だったのか・後編>

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 しかし、其れは歴史の真実な姿でしょうか?
劉備が正しいのは、漢の皇帝一族の出身であるとの理由ですが、実際には、劉備の生い立ちも怪しいものがあります。
彼の祖父は、地方長官の役を得ていましたが、父親は早くに亡くなり、家は貧しく、その家系も偶然、劉氏で在った事から、漢の皇帝一族としたらしいのです。

 一方、曹操は、名実供に名家で、その父曹崇は、大変な資産家であり、漢の朝廷に仕えて大尉(大臣)の位を頂き、更に祖父は宦官の巨頭で、宦官として宮中に権力をふるったのでした。
宦官ですから実子ではなく、曹崇は養子で在り、曹操は名家の出身でも宦官の子孫という屈辱を背負っていました。

 ところで、生い立ちは別として、曹操は果たして極悪非道の人物で在ったのでしょうか?
確かに漢の天下を簒奪したのですから、主従の関係からも良くない事には違いないとしても、前王朝を倒して実力で皇帝の地位を得た者は、曹操だけの話では無く、劉備も同様と思います。
では、曹操は強いばかりの豪傑で在ったのかと云えば、彼は、書を好み、兵法に関して当代に並ぶ者の無い学者在り、更に文学の世界に至っては、天成の詩人で在りました。
その詩篇の数々は、今日に至る迄愛誦されています。

 「月明らかに星稀に、烏鵲南に飛ぶとは、これ曹孟得(曹操)の詩にあらずや。・・・酒をそそいで江にのぞみ、槊
を横たえて詩を賦す。もとより一世の雄なり」

 宋代の詩人、蘇東坡も「赤壁の賦」のなかで、この様に詠い、曹操の長子である曹丕(文帝)も次子たる植も、ともに詩文の天才で在り、父子ともに詩文の歴史に与えた影響は、極めて大きいものがありました。

 では、曹操に関する悪評は、「三国志演義」の創作にすぎないのか?之も又否なのです。
物語として、形が整えられる以前に、講釈が在り、町の辻で講釈師が語り聞かせ、その重要な題材が、三国志の物語で在り、確かに宋代には、曹操は悪人の藻本とさえ、されていました。

 更に魏晋の時代、つまり曹操と同じ時代から、その評判は、良からぬもので、曹操の人格に関する悪評が多く、地代を経る毎に悪評を重なって行きました。
しかし、同世代の人物、陳寿が著した「三国志」は、流石に歴史書なので、決して曹操を非難せず、その構成からも三国の内で正当とされたのは、曹氏の魏で在りました。
「三国志」において、曹操や曹丕は、皇帝として扱われ、劉備や孫権は違うのです。
皇帝たる者と然らざる者とでは、文書の書き方も違い、しかも陳寿は、蜀の遺臣なのでした。
 
 其れが地代の経過と供に、蜀漢が正当とされ、劉備や諸葛孔明のみが同情される事と成ったのが、「三国志演義」で在って、そもそも曹操を悪人とし、更に極悪人に仕立てたのは、誰の仕業なのでしょうか?
其れとも、地代の風潮だったのかも知れません。

本編終了・・・
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