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2010/05/31

歴史の?その207:正史の中の疑問⑭唐に献上された日本の舞姫・前編

<正史の中の疑問⑭唐に献上された日本の舞姫・前編>

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 「長安の酒場に行けば、青い眼をした女性が居た。白い顔を花の様にほころばせて、歌っていた。金髪をなびかせながら、踊っていた」。
今から1200年程前、我国では奈良時代のお話です。

 唐の都、長安は、当時世界最大の国際都市で、大唐帝国の威勢をしたって、又高い文化に憧れて、四方の国々から、さまざまな人種の人々が、長安に集まっていました。
日本からも、遣唐使が赴き、留学生が行き、中にはそのまま長安に住居を構え、唐の役人に成る者も現れました。
遣唐使の藤原清河、留学生の阿倍仲麻呂が良く知られています。

 阿倍仲麻呂は、詩人李白とも親交が深かったので、先に述べた酒場で、異国の女性が注ぐ、葡萄の酒を味わった事でしょう。
藤原清河、阿倍仲麻呂は、供に長安で他界します。

 さて、唐の年号で大歴13年(778年)、日本の年号では、宝亀9年、日本からの遣唐使が26年ぶりに長安に赴きました。
一行は、正月に入京し、4月末迄長安に滞在し、帰国に際しては、在唐の留学生の他、清河と唐の婦人の間に生れた娘(喜娘)を伴います。
帰路の航海は、逆風に合い、多くの者が海に消えたものの、喜娘は、何とか父の故国の土を踏む事ができました。

 処が、この時長安の宮廷には、別に11人もの日本女性が、再び祖国を見る当ても無く、辛い日々を送っていました。
この薄幸の女性達に関して、日本側の記録には、何も伝えていません。
この女性達は「日本国の舞姫」で在り、777年の正月、渤海から貢物として、唐の朝廷に献上された者達で在りました。
唐の役人も、特に珍しい事と思ったのか、特に記録に留めていますが、なぜ「日本国の舞姫」が渤海からの献上品に成ったのでしょうか?

後編へ続く・・・
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