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2010/06/02

歴史の?その209:正史の中の疑問⑯:蒙古来襲・前編

<正史の中の疑問⑯:蒙古来襲・前編>

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 文永11年10月20日(太陽暦11月19日)、日本は記録上初めて、異国の侵略を受けました。
「文永の役」、いわゆる元寇です。
博多の湾内は、前日から蒙古の軍船で埋まり、その数900隻余り、既に対馬、壱岐を攻略し、その守備軍を全滅させ、今当に九州本土に達したのでした。

 蒙古は国号を「元」と称し、中国北部を領土として、朝鮮半島も完全に制圧され、高麗は属国となり、日本もその勢力下に置こうとしていました。
中国や高麗から徴兵された将兵の数、28000人、その他高麗が、供与した水夫は6800人に上ります。

 夜が明けると、蒙古軍は博多湾の西方に上陸を開始し、人馬供に大集団を成し、ときの声を上げ、日本側に襲い掛かります。
日本軍は、其れまでの戦いと全く異なる戦法(一騎打ちに対する集団戦法)に苦戦を強いられ、善戦はしたものの、じりじりと後方に押され、夕方には、博多の本陣も突破され、総崩れとなり南に向かって退きます。
大宰府の守備を固めて、改めて蒙古軍を食い止める戦法をとりました。
蒙古軍は、博多の町を席捲して、箱崎方向(東向き)に軍を進め、町には火が放たれます。
この日は、朝から曇り空でしたが、夕方から雨となり、南へ退いた人々は、遥かに望む猛火を見て、降りしきる雨に涙を流しました。

 恐ろしい一夜が明けると、蒙古軍の姿が無い!
海には、軍船の姿も無く、町には、兵の姿も無く、僅かに、志賀島の砂州に一隻が、打ち上げられています。
蒙古軍は、昨夜の内に退去していたのでした。
昨晩は、大風が吹き、そん為に蒙古軍の大船団は姿を消したのでしょうか?
奇跡でした。

後編へ続く・・・
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