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2008/09/07

「銀河鉄道の夜」再考

以前、銀河鉄道の夜について、簡単ながら記載しました。今回、もう少し踏み込んで、「銀河鉄道の夜」を再読したいと思います。(前回と重複箇所も有りますが、宜しくです)

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「銀河鉄道の夜」とは
 宮沢賢治の作品の中で最も有名な童話の一つとなった「銀河鉄道の夜」。

 未完成のまま世に出されたこの童話は、賢治の想いが詰まった作品となっています。
今回、賢治が「銀河鉄道の夜」を書いた背景、「銀河鉄道の夜」誕生秘話についても出来得る限り紹介してみようと思います。本文だけでは分からない隠された想いについて、本文を読んだことある人もない人も是非読んでみて下さい。
 
 作者の宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」を書き始めたのは、妹のとし(またはトシ、とし子)の死後でなのです。賢治は下に四人の弟妹が居り、その中でも賢治はとしに「信仰を一つにするたったひとりのみちずれ」(※1)と呼びかけ、そのことから、賢治はとしに対する特別な思い入れがあったことが分かります。
 としは賢治の歌稿を筆写し纏めたりして、彼の創作活動を手伝いました。又、彼女は賢治の作品に対する良き理解者でもありました。そのとしが、賢治二十六歳の時に亡くなったことは、彼の人生の中で大きな衝撃だったに違いないのです。

 賢治は日記をつけずに、短歌や詩が日記代わりとなりました。としが亡くなった頃に生まれた詩から見ても、彼女の死が彼の中でどれほど悲痛なものだったか伺えます。

 としの死から一年後、賢治は「風林」という詩を著しています。
その詩の中で賢治は、死んだ妹が「天の木星にいるのかもしれない」(※2)と詠いました。
そして彼はこの年の七月、樺太鉄道に乗って北へ傷心旅行へ出かけたのです。
(表向きは、教えていた農学校の生徒の就職を樺太の知人に頼みに行くというものだった。)

 賢治は何故北へ向かったのでしょう?それは北の果て、北極が一番天に近いと思ったからでしょうか?しかし北極へは行けないので、鉄道と船で行ける処まで北へ向うのです。この旅行こそが、「銀河鉄道の夜」の原点です。

 例えば、樺太鉄道の終点は、オホーツク海に面した栄浜ですが、この駅は物語の中の白鳥の停車場と思えます。栄浜駅へ着いたのは、午前十一時十五分で、物語内でも白鳥駅へ辿り着いたのは十一時。そして栄浜駅から歩いて栄浜海岸へ行くことができる。之も又、物語内でジョバンニとカムパネルラが白鳥駅からプリオシン海岸へ歩いて行く箇所と同じです。

 この様に、賢治の樺太鉄道旅行は、物語の流れと似ている点が多いと思います。そして、物語内のジョバンニとカムパネルラは「死んだトシと生きている賢治」を指すのです。としの死を経て、感傷旅行へ出かけた賢治。「銀河鉄道の夜」誕生のきっかけは、まさしくそこにあると言えるでしょう。

 一度「銀河鉄道の夜」を読んだことある人も、ジョバンニが賢治でカムパネルラがとしであったことを踏まえたうえで読んでみれば、「銀河鉄道の夜」を新しい視野でとらえることができると思います。

【引用文献】
※1: 東光敬(著) p.38 「妹の死」『銀河鉄道の夜〉をつくった宮沢賢治 宮沢賢治の生涯と作品』 1998年6月15日 ゆまに書房
※2: 畑山博(著) p.50 「「銀河鉄道の夜」もうひとつの読み方」『銀河鉄道 魂への旅』 1996年9月5日 PHP研究所

あらすじ

 父親が漁のために北の海に行ったまま消息がわからず、病気で家から出られない母親を持ち、苦しい家計を支えるために姉とふたりで働くジョバンニ。彼は毎日活版所で活字を拾い、お金を稼ぐ生活をしていた。父親がいない為に他の子供達に虐められる中、小さい時からの友達だったカムパネルラだけはジョバンニに優しくした。ジョバンニはカムパネルラに憧れていた。

 ケンタウル祭の夜、ジョバンニはお母さんに飲ませる牛乳を貰いに行く。しかし途中でザネリに会って意地悪を言われ、牛乳も貰えず、更に帰る途中にまたザネリたちの集団に会いからかわれる。その集団の中には気の毒そうな顔をしたカムパネルラもいた。ジョバンニはすっかり落ち込み、誰もいない暗い丘に寝転んで星を見上げた。

 その時ジョバンニは、銀河ステーション、銀河ステーションと云う不思議な声を聞いた。気が付くと彼は夜の軽便鉄道の車室に、窓から外を見ながら座っていたのだ。そして前の席には青ざめた顔をしたカムパネルラが乗っていた。不思議に思いながらもカムパネルラとの旅に胸を躍らせるジョバンニ。二人の幻想の旅が、今、始まる。

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