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2010/06/14

歴史の?その217:正史の中の疑問24:泣き出したカリアティド

<正史の中の疑問24:泣き出したカリアティド>

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 私は、ギリシアと言う名前から、アテネ市のアクロポリスに建つ、「パルテノン神殿」を連想します。
その「パルテノン神殿」の北に「エレクティオン神殿」が在ります。
この神殿は、ギリシアの神殿としては、特異な設計を持ち、アテネ市の守護神アテナと海神ポセイドンの他、アテネの古い王、エレクテウスを祭る神殿で有り、その敷地が北側に向かって、傾斜している土地に建造された為、複雑な建物となりました。

 「エレクティオン神殿」は、紀元前421年から同407年迄かかって建造され、その壁には、建設に要した費用が、詳しく彫り付けられており、当時のアテネの物価を知る上で、この上も無い資料と成っています。
しかし、この神殿で、最も有名なのは、南側のテラスで、乙女の姿をした石柱に支えられており、この石柱を「カリアテッド」と呼び、前列4体、後列2体が在ります。
その前列の柱の内、一部は石柱ではなく鉄筋が、填められて居ましたが、後年、乙女像のコピーに変更されました。
その部分の実物は、現在イギリスの大英帝国博物館に存在し、パルテノンの破風、柱間の彫刻類と一緒に、1803年頃エルギン伯トーマス・ブルースによってイギリスに持ち出されたものです。

 エルギン伯は、1799年トルコ公使となり、当時トルコ領で在ったギリシアで、ギリシア彫刻の素晴らしさの虜に成りました。
彼は、トルコ政府の許可を得て、画家達がアクロポリスの神殿の彫刻類をデッサンさせましたが、トルコ政府の役人を買収して、アクロポリスに上る許可、デッサンをする許可、石膏で模りする許可、その為彫刻類を高所から降ろす許可、彫刻の破片をイギリスに送る許可と次々により大幅な許可を得て、更に彼は、それらの許可を拡大解釈し、主にパルテノン神殿の彫刻類を200以上の箱にして、イギリスに送りました。

 エルギン伯は公使として、コンスタンチノープルに居り、アテネには、極稀にしか訪れず、之等一連の仕事は、部下達が執り行ったのですが、「エレクティオン神殿」乙女の柱も全て取り外して、イギリスに送る手筈で在ったものの、一体を外した処、乙女の柱は、悲鳴をあげて泣き出したと云います。
作業に従事していた、作業員は気味悪がり、誰も作業を続ける事を止め、乙女の柱は、一体を外しただけで取り止めに成りました。

 乙女の石柱が、悲鳴をあげて泣いたとは、随分不思議なお話ですが、此れは多分、柱を外した為に建物全体が崩壊しそうに成り、石が軋み、鳴り出したのだと思われます。
当然、作業員達は、巨大な神殿の石の下敷きに成る事を恐れたのでしょう。
乙女の柱を全部搬出する予定で在ったと伝えられますが、いくら大幅な許可を得ていてもその様な作業は、無理で

 実際、「パルテノン神殿」でも数多くの彫刻類を取り去りましたが、そのままの彫刻も在ります。
これは、その彫刻を取り外すと神殿そのものが、崩壊する危険があるからです。
乙女の柱も全てを取り去る予定なら、端の部分から取り去った筈で、2番目から取り外そうとした事は、元来、建造物の構造に影響を与える可能性の少ない部分と思われたからではないでしょうか?
乙女の柱が泣いたのは、作り話かも知れませんが、イギリス人の良心が泣いたのかも知れません。
詩人のバイロンは、エルギン伯の行為を非常に非難しました。

続く・・・
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