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2010/06/15

歴史の?その218:正史の中の疑問25:消えたスパルタの勇士

<正史の中の疑問25:消えたスパルタの勇士>

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 今から2500年程昔の事、ギリシアのスパルタで、月桂樹の冠を被った2000人の勇士達が、神殿から神殿へと行列を作って練り歩きました。
彼等は、スパルタで、「ヘイロタイ」と呼ばれる奴隷的身分の者達で、先の戦争で、スパルタ人と供に勇敢に戦い、その手柄として、奴隷の身分から解放され、自由人と為る事が許されたのでした。
ところが、この行事から暫く後、この2000人の勇士は、一人残らず行方知れずに成ってしまいました。

 さて、スパルタは、ギリシアの南部、ペロポネソス半島に存在した、強国で、「ドーリス人」と呼ばれるギリシア人の集団が、紀元前1200年頃、北方からギリシアに侵入し、ペロポネソス半島の先住民を征服して、建国した国家が、スパルタでした。
彼等に征服された先住民は、奴隷的身分を与え、此れが「ヘイロタイ」と呼ばれる人々で、人口の上では、圧倒的にスパルタ人より多く、歴史学者 ベロッホは、紀元前5世紀末、自由人であるスパルタ人の成年男子の数は、2500人、一方「ヘイロタイ」の成年男子は、17万5000人であると計算しています。

 スパルタ人は、農耕を「ヘイロタイ」に行わせ、収穫物の半分を取り立て、彼等は、一切の労働作業に従事する事無く、体の鍛錬、軍事訓練に励んだのです。
此れら、一連の鍛錬、訓練は、スパルタ人にとっても大変厳格なもので「スパルタ教育」の語源とも成りましたが、このお陰で、スパルタは、ギリシア第一の強国と成ったのです。

 当時、ギリシアの国々は、何時もお互いに戦争状態に在り、従ってスパルタの男性は、国を離れて従軍する事が多く、当然、自分達が居ない祖国を常に心配していました。
スパルタ人が、遠征の最中にもし「ヘイロタイ」が反乱等でほう起した場合、其れはスパルタの滅亡を意味する事から、むしろ「ヘイロタイ」の反乱を彼等は、大変恐れていました。
スパルタ人は、常に「ヘイロタイ」の力を弱める様に努め、毎年1回、彼等を鞭で打ち、奴隷で有る事を忘れない様にし、余りに強い「ヘイロタイ」は、罪の如何に関係無く死刑にされたのです。

 スパルタの青年達は、「クリュプティア」と呼ばれる武者修行も行い、彼等は、人気の無い場所に行き、昼間は、身を潜め、夜間行動し、行き会った罪も無い「ヘイロタイ」を殺すのです。
この行為は、「ヘイロタイ」にスパルタ人を恐れさせ、反抗の気力を殺ぐ為でも在りました。
2000人の「ヘイロタイ」勇士が消滅したのも、この為で、スパルタ人は、戦場で勇ましく戦い、めざましい武勲を立てる様な「ヘイロタイ」を特に危険分子と見なし、自由を与えた上で、殺してしまったのです。

補遺

 古代スパルタの諸制度、特に教育制度は、リュクルゴスが定めたと伝えられており、彼の実在を疑う歴史学者も居ますが、プルタルコスの「英雄伝(対比列伝)」にも紹介されており、更に「アギスとクレオメネス」の伝記によって、スパルタ国家の末期が、良く理解できます。

続く・・・

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