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2010/06/17

歴史の?その220:正史の中の疑問27:ルビコン川はどの川なのか・後編

<正史の中の疑問27:ルビコン川はどの川なのか・後編>

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 さて、ここで「ルビコン川を渡る」と云う諺も出来ましたが、この時渡った「ルビコン川」は、ガリアとローマ帝国の国境に在る川で、ガリアは、アルプス山脈を挟んで両方に存在し、この場合のガリアを「ガリア・キス・アルピナ(アルプスの此方側にあるガリア)」と呼ばれている地域でした。
「ルビコン川」は、赤い川の意味で、歴史地図を見るとたいてい図示されていますが、実際は、アリミニウムの北に位置する川で、アドリア海に注ぐ川は、大変多く、ルビコン川がその多くの川の一つと云う事以外、実際のルビコン川が、今日のどの川に当たるのか、はっきりと解明されていません。
「ルビコン川」を「フィウミキノ川」「ウソ川」とする説も在りますが、何れにせよ、ガリアとローマ帝国の国境に位置した川で、カエサル由来の名高い川で在りながら、不思議な事に学会の意見は、定まっていません。

 ルビコン川を渡った、カエサルは、ポンペイウス、元老院派と戦い、ポンペイウスは、ギリシアのファルサロスで、カエサル軍に撃破され、更にエジプト迄逃れたものの、紀元前84年この地で、果てました。

 ポンペイウスを追ってエジプトに来た、カエサルは、時のクレオパトラを見初め、彼女を愛し、その頼みを受け入れて彼女を援助し、エジプトの女王としました。
先に記述した「クレオパトラの鼻・・・」の言葉は、この歴史的背景から出てきたものなのです。
その後もカエサルは、東方遠征を行い、ポントスを平定しましたが、この事を友人である。マティウスに知らせた時の彼の手紙が、「来たり、見たり、勝ちたり」でした。
軍人らしい簡潔な文書の上、韻を踏んだこの言葉は、大変有名になりました。

 やがて、カエサルは、ローマに凱旋しますが、皇帝の地位への野心を疑われ、紀元前44年3月15日、元老院で暗殺者の刃に襲われます。
当初、カエサルは、痛手を受けたものの屈せず、勇敢に暗殺者と対峙しましが、その中に息子の様に目を掛けたブルータスが、加わっている事を知り、「ブルータスお前もか」と言って抵抗を止め、殺されたと云います。
彼が最後に息を引取ったのは、ポンペイウスの像の下であると伝えられています。

本編終了・・・
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