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2010/06/19

歴史の?その222:正史の中の疑問29:ネロは果たして暴君だったのか・後編

<正史の中の疑問29:ネロは果たして暴君だったのか・後編>

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 ローマは、ローマ帝国の時代、度々大きな火事が起こり、消防隊もアウグトウス帝の時代に創設されていましたが、西暦64年7月19日、それまでの記録にも内、大火が発生しました。
大競技場から出火した火は、瞬く間に市中に広がり、火災が余りにも激しかった為、人々は、逃げる事がやっとの状況でした。
ネロは、アンティウムに滞在して居ましたが、急ぎローマに戻り、宮殿も焼失していましたが、焼け残った公共建造物や公園、宮廷庭園を民衆に開放し、近在の町から食料、物資を運ばせました。

 ところが、「ネロは都が燃え上がる様を宮殿のバルコニーから見物し、ホメロスを気取り竪琴を奏で、“トロイ落城”を詠っていた」との噂が、人々の間に広まりました。
ネロは、従来から芸術家を気取り、ナポリでも舞台に立ち、詩を吟じた事もありました。
其れは、ローマの大火の少し前の事で、彼が詠い始めると、まもなく地震が起こり、彼を心配して舞台に駆け上ろうとした者も在りましたが、彼は、平然と詩を詠い続け、終わった時、拍手は鳴り止まなかったと記録されていますが、それは、彼の詠いが上手かったのではなく、彼の勇気を賞賛したのだと云われています。

 ローマが焼けてしまった事を良い機会として、ネロは、ローマ市の再建計画を立て、建造物の不燃化を図り、又宮殿用地を拡大しようと考えました。
その為、「ネロは、自分の名前を付けた新しい都を造ろうとして、ローマに火を放ったのだ」との噂が広まり、更には、その大火の折、小役人が、混乱を利用して、民家に踏み込み、泥棒を働いた上「お上の命令でやっているのだ」等と言いながら、彼等は証拠を隠す為、まだ火の回っていない家に松明を投げ込んだりもしたのでした。
この様な事から、「ネロが火をつけさせたのだ」と云う噂が人々の間に信じられる事に成ったと思われます。

 歴史家タキトウスは、ネロ時代の歴史を著し、ネロが、本当に放火を命じたか否かについては、彼自身判らないとしていますが、多分、彼の命令では無かったでしょう。
ネロは、被災者の為に、物資を援助し、神殿での御祓い等の儀式を執り行いましたが、「疚しさから、あの様な事をするのだろう」と益々、噂は人々に信じられる様になりました。

 自分に向けられた悪評を逸らす為、ネロは「キリスト教徒がローマに火を放った」と言いふらし、キリスト教徒を捕らえて処刑したのですが、この時、伝道者パウロも処刑されました。
キリスト教徒を迫害したのも、彼だけでは無く、その後益々、激しさを増していくのですが、コンスタチヌス帝の時、キリスト教は、ローマ帝国の国教と成り、やがてヨーロッパ全土広がって行きます。
キリスト教徒を始めて迫害したネロは、彼等によって、極悪人とされ、やがて「暴君」と呼ばれる様に成ったのです。

本編終了・・・

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