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2010/06/23

歴史の?その225:正史の中の疑問32:インカの秘宝・後編

<正史の中の疑問32:インカの秘宝・後編>

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 ピサロは、以前にアステカ王国を征服した、コルテスから「王を生け捕りにすれば、征服は出来る」旨の教示を受け、アタワルパを妖計にかけます。
1532年11月14日カハマルカの町で、ピサロとアタワルパの会見が行われる事に成り、ピサロは、皇帝アタワルパを賓客として宴席に招くと、カトリックの僧侶が、アタワルパに「我々は、カトリックの布教の為にこの地を訪れた」と言いながら、聖書をアタワルパに手渡しますが、文字を知らない彼にとって、聖書は何の意味を持つものでは無く、其れを床に落としました。
この瞬間、ピサロは、アタワルパが神を汚したとして、彼を捕らえ、人質にしてしまいます。

 アタワルパは、自分を許してくれるなら、今自分の捕らえられている部屋を黄金で埋め、隣の部屋を銀で埋めると言い、是を2ヶ月で実行すると約束します。
皇帝は、国中に御ふれを出し、インカの民は、皇帝の為に金銀を持ってカハマルカの町を目指しました。
財宝は、次第に集まって行きましたが、約束の量に成るには時間が掛かり、ピサロは、こうして時間を掛けてインカ人は、軍隊を整え反撃の準備をしているに違い無いと疑います。
彼は、アタワルパを形式だけの裁判にかけ、1533年8月29日処刑してしまい、ピサロは、三男マンゴをインカ皇帝としましたが、事実上この時、インカ帝国はスペイン人に征服されたのでした。

 皇帝アタワルパの処刑によって、カハマルカに向かっていた財宝の輸送は、勿論停止し、是等はスペイン人の目の届かぬ所に隠されてしまいます。
アタワルパは、処刑に際し、身代金を倍にしても良いと言ったと伝えられますから、財宝の量は、膨大なもので在ったと思われます。

 是を一般に「インカの秘宝」呼び、隠された財宝を求めて、多くの人間がアンデス山脈に分け入りましたが、自然の要害に阻まれ、現在迄「インカの秘宝」は発見されていません。
アタワルパの処刑によって、財宝は帝国の諸所の分散されて埋蔵された為、現在迄まとまった量の財宝が発見された事が無いと思われます。

本編終了・・・
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