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2010/07/08

歴史の?その236:正史の中の疑問43:モナ・リザ盗難事件・後編

<正史の中の疑問43:モナ・リザ盗難事件・後編>

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 その中で特に有名なのは、詩人のアポリネールで、彼の参考人として、あのパブロ・ピカソも警察に呼ばれています。
当時アポリネールが、秘書として雇用していた、ゲリー・ピュレェは「ルーブル位、泥棒するのに楽な所は無い」と言い、時々小さな彫刻等を盗みだしましたが、その頃のルーブル美術館は、監視人も少なく、その気に成れば、小さな物を盗み取る位、容易で在ったらしいのです。

 ゲリーは盗んだ彫刻等を、アポリネールやピカソに贈った上に、自分の泥棒稼業を或る雑誌に投稿した程でした。
アポリネールとピカソは、ゲリーからの“贈り物”を鞄に入れて、セーヌ川に捨てようと、二人で真夜中に川の辺を歩き続けます。
しかし、誰かに尾行されている様な気配がして、とうとう鞄を捨てられず、一晩中歩き回りました。
やがて、終に二人は警察に呼び出され、その時、気の強そうなピカソも、警察と聞いて脅え、“振るえてズボンもなかなか履く事が出来なかった”と伝えられています。
問題の彫刻は、ルーブル美術館に既にこっそりと戻していた事、事件も可也昔の事で在った為、二人は無事に許されて家に帰る事ができました。

 「モナ・リザ盗難事件」は、迷宮入りした様に思われましたが、1913年12月12日、急転直下解決します。
フィレンツェの古美術商に、レオナルディと名乗り「モナ・リザ」を売りに来た男がいました。
古美術商は、「専門家に立会いを求め、本物で有ったら購入しよう」と告げ、レオナルディはこの条件を受入ました。
専門の鑑定士は、この「モナ・リザ」を本物と鑑定し、レオナルディはその場で身柄を現地の公安当局に束縛されます。

 この男の本名は、ヴィンセンコ・ペルージアで塗装工でした。
イタリア人ですが、フランスに出稼ぎに行き、事件当時はルーブル美術館で絵にニスを塗る作業を行っていました。「ナポレオンが、イタリアから絵画や彫刻を幾つも略奪していったから、その仇を討ったのだ」と彼は証言したと伝えられています。
やっと「モナ・リザ」はルーブル美術館の本来に場所に戻り、翌年1月4日から公開されました。

 この事件は、結末が余りにも“間の抜けた”終結で、その発見直後から疑問を呈していた様です。
古美術商に持ち込めば、公安関係者(イタリアには、美術専門の特捜警察組織が現在も存在します)に通報され、拘束される事は明らかであり、2年近くも隠匿しながら、何故その様な安易な行為を行ったのでしょうか?
この2年の間に精巧な模写が描かれ、ルーブル美術館に戻った「モナ・リザ」は贋作の方で在ると考える人物も多く存在しています。

補遺

 森鴎外には、外国新聞からおもしろいニュースを見つけて翻訳し、「椋鳥通信」「水のあなたより」等と題して、海外からの便りの形をとって、雑誌「ずばる」等に連載したものが在り、「鴎外全集」にも収録されています。
その部分を読むと、モナ・リザ盗難事件の発生から解決迄を辿る事ができます。

本編終了・・・
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