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2010/07/15

歴史の?その241:正史の中の疑問47:ロスチャイルド・後編

<正史の中の疑問47:ロスチャイルド・後編>

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 ロスチャイルドの早耳は、こうして有名に成り“この一族には、不思議な予知能力が有る”とさえ言われました。
又、伝書バトを利用したとも云われており、昭和の初期、まだカラー作品が少なかった頃「ロスチャイルド」と言う映画が作られ、その中では、伝書バトがワーテルローの戦果を知らせていました。
当時、ネイサンは、実際にワーテルローの戦いを見に行った等と言う、デマも飛び交った程、驚異であったと思います。

 ロスチャイルド家は、以前ロートシル家と云い、その初代マイヤーは、ドイツのフランクフルトのユダヤ人街に住んで、両替や貴金属売買の商売し、その後金融業を始めて、瞬く間に成功をおさめ、諸侯や貴族に迄、融資を行う様に成り、1806年ナポレオンが大陸封鎖令を出すと、その法律をかいくぐり密輸でも成功します。
マイヤーの五人の息子達は、長男をフランクフルト、次男をウィーン、三男をロンドン、四男をナポリ、五男をパリにと、ヨーロッパの主要都市に居住し、手を結び協力し合って、家業である金融業を大きなものにしていきました。

彼らの金儲け手段の一つは、徹底した賄賂戦術で、各国の重要な地位を占めている者には、惜しみなく金銭を贈り、利益を無視して、便宜を図り関係を深くして、結局、裏でごっそり儲けるのです。
もう一つは、通信網を作り上げ、ニュースを他よりもいち早く知る事でした。
ロスチャイルド家は、ヨーロッパの主要都市に部下を配置して、必要が有れば彼らの間を、何時でも飛脚が走り、この様な独自の通信網の他に、ヨーロッパの駅馬車組織を独占していた、テュルテン・タキシス家と深い関係を結んでいました。

 各国の高官には、賄賂で取り入り、重要なニュースは直ぐ彼らから伝えられ、その上、ロスチャイルド家は密輸を行っていたので、英仏海峡には、船がいつでも配備され、どんな悪天候にも耐えられる、多数の水夫が雇われていました。
当然、ロスチャイルドも伝書バトを使ったかも知れませんが、ワーテルローの戦いの夜が、暴風雨であったなら、伝書バトは余り役に立たず、以前よりロスチャイルド家が、熱心の作り上げた通信網の成せる技で在ったと思われます。

本編終了・・・
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