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2008/09/10

「銀河鉄道の夜」第4回

ジョバンニの孤独考

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<孤独>発表年度による内容の違い
 第三次稿と第四次稿の違う箇所を紹介します。
「おまへはいったい何を泣いてゐるの。ちょっとこっちをごらん。」(原文のまま)と言うブルカニロ博士の優しい声が聞こえ、カムパネルラはもう帰ってこない事を知る。そしてジョバンニは銀河鉄道の仕組みを知り、「ああゝマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」と決意する。そして、「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」と、ジョバンニは力強く云うのだ。ジョバンニは、元居た世界に戻り、カムパネルラを失った孤独の中に居るが、それは始めの孤独とは違い、悲壮感は無い。ジョバンニは孤独であるが、博士のくれた緑の切符と共に、(ほんとうの幸)という目指すべき目標に向かって真直ぐに突き進んで行くという決意を持ち、孤独ながらも強く生きて行くのである。

 しかし、第4次稿の場合は全く違う。ジョバンニは「もとの丘の草の中につかれてねむって」いたのであり、「胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれて」いる気持ちを味わう。そして直ぐ、「まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされ」て急いで家に向かう途中、七八人の人がひそひそ話しているのを見て「なぜかさあっと胸が冷たく」なるのだ。そして、カムパネルラが死んだ事を知って「わくわくわくわく足がふるえ」、「もういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走」って行って物語が終わるのである。ジョバンニは銀河鉄道の夜を通じて精神的に成長し、ほんとうの幸を探そうと決意するが、第三次稿のように、「僕きっとまっすぐに進みます」という、いわば単純な、希望を持った結末とは違う。カムパネルラを失う事によって再び訪れた孤独は、物語の初めとは違う意味で、ジョバンニに重くのしかかるのである。これは第三次稿が書かれてから第四次稿が書かれるまでの間に(ほんとうの幸)の実現の難しさを悟った賢治の意識の変化により、ジョバンニは「ほんとうの幸を探そう」という結末から、「もういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに」走っていくという結末になったのだと考えられる。 (第三次稿と第四次稿の違い、出典あり)

 また、それに併せ、カムパネルラのモデルとされるとしを失った賢治の孤独、悲しみが、第三次稿に比べて第四次稿はありありと写し出されている様に思う。

 ジョバンニは物語の最後、第三次稿、第四次稿共に、最初の孤独とは違った意味の孤独を感じることになるが、第三次稿では孤独でありながらも未来に向かって希望を持っている。しかし、カムパネルラを失った第四次稿のジョバンニは、最初の孤独に比べより大きい孤独を感じ、一人で(ほんとうの幸)を求めていく事の絶望的な遠さに「もういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云え」なくなるのである。
(ほんとうの幸について、出典あり)

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