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2010/07/26

歴史の?その247:正史の中の疑問53:サラエヴォの悲劇・前編

<正史の中の疑問53:サラエヴォの悲劇・前編>

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 第一次世界大戦は、「サラエヴォの悲劇」から始まりました。
この事件は、時のオーストリア・ハンガリー帝国皇太子夫妻暗殺であり、皇太子フランツ・フェルディナンドと大公妃ゾフィアは、ボスニアで行われた陸軍大演習を視察した後、サレエヴォ市の歓迎行事に出席しました。
1914年6月28日、この日は偶然にも夫妻の結婚記念日でもありました。

 良く晴れた日曜日、夫妻は市役所に向かって川沿いのアッペル・ケイ通りを自動車で通過していた時、暗殺団の一人、チャプリノヴィッチが小型の手投げ弾を皇太子の自動車に向かって投げました。
手投げ弾は、皇太子の乗った自動車の幌の部分に当り、道路に落ちそこで爆発し、皇太子は何事もなく、大公妃は少々の掠り傷を負ったものの大事には至りませんでした。
しかし、隊列後部の自動車に乗っていた女官や、沿道に居合わせた市民の中には、重症者も出て辺りは騒然と成りましたが、皇太子は落ち着いて「狂人のやった事だ、さあ行け」と運転手に命じたと伝えられています。
 
 犯人のチャプリノヴィッチは用意していた毒薬を飲むと川に飛び込みましたが、毒薬は古くて薬効が無く、川には生憎水が少なく、泥の中でもがいている内に警官に取り押さえられます。

 市役所での歓迎行事が終わった後、随員は、今後一切の予定を取り止め、宿舎のイリッジェ城に帰る事を進言しましたが、ボスニア知事は「同じ日に暗殺を企てる者があるはずは無い」と言い張ります。
皇太子は予定の民族博物館行きを中止し、先の爆弾事故で負傷した人々を病院に見舞おうと申し出ます。
その為、予定のフランツ・ヨーゼフ通りを通過せず、もう一度アッペル・ケイ通りを通る事に成りましたが、何故か皇太子乗車の運転手には、行き先の変更が伝わっていませんでした。

続く・・・
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