FC2ブログ
2010/07/27

歴史の?その248:正史の中の疑問54:サラエヴォの悲劇・後編

正史の中の疑問54:サラエヴォの悲劇・後編

448px-Australian_infantry_small_box_respirators_Ypres_1917_convert_20100727195345.jpg

 経路の変更を知らされていない運転手は、当初の予定通りアッペル・ケイ通りからフランツ・ヨーゼフ通りに曲がろうとした時、ボスニア知事が「違うぞ!止まれ!」と叫び自動車は速度を緩めました。
当にその時、二発の銃声がおこり、皇太子の首と大公妃の腹部に弾が命中しました。
病院に着くと間もなく、大公妃が死亡し、暫くの時間を空けて、皇太子が死亡しました。

 この時の犯人プリンチップもその場で、取り押さえられ、先の犯人チャプリノヴィッチ共々、警察で厳重に調べられた結果、彼らはセルビアの暗殺団員で在る事が判明し、25人もの関係者が逮捕されます。

 さて、ここ迄読んで来た皆さんには、この事件の発生から終結迄、不可解な事例が多い事に気づかれたと思います。
1、暗殺未遂事件が発生したにも関わらず、何故か、それ以降の行事を中止しなかった事。
2、暗殺未遂事件発生以後も、何故か、拳銃を持ったプリンチップが逃げずにその現場近くに居た事。
3、プリンチップは、皇太子の行事予定変更を知らなかった筈なのに、都合の良い場所で狙撃できた事。
4、暗殺未遂事件が発生したにも関わらず、警察は警備をより厳重にしなかった事。
5、皇太子の運転手は、何故か、行き先変更を知らされていない事。
6、最後に、この暗殺を計画した「蜂・ピアス」と呼ばれたデミトリエヴィッチ大佐は、計画中止を決定していたにも関わらず、何故実行されてしまったのか?
単に偶然では済まされない、何かが有るような状況と思います。

 しかし、戦争は“偶然”が重なって勃発する事が良く有るようです。
第一次世界大戦も、第二次世界大戦もその様な傾向を予見させます。

 この事件で、オーストリア政府がセルビアに突きつけた最後通告を、セルビア政府は相当に無理な条項が存在しても、受け入れる事としていました。
しかし、10ヶ条の要求に内、第6条に「暗殺犯人とその一味の裁判の為、調査にオーストリアも協力させよ」という条項が在り、セルビアはこれを「裁判に協力させよ」という意味に解釈し、それは憲法違反になり、受け入れられないと拒絶します。
処が、それは通告文書がフランス語で書かれていた為の解釈間違いで、「裁判の為の調査にセルビアも協力する事」をオーストリア政府が要求したものであって、裁判そのものに干渉する意思は有りませんでした。

本編終了・・・
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント