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2008/09/11

「銀河鉄道の夜」第5回

ほんとうの幸考

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 物語の後半になると、ジョバンニは「ほんとうの幸」とは何だろうと悩み、自分も「ほんとうの幸」を実現したいと考えるようになる。銀河鉄道の夜は単なる童話でなく読み方によって様々な謎と側面を持つが、ジョバンニが銀河鉄道を通じて様々な人と会い、「ほんとうの幸」をだんだん意識するようになるまでの心の成長を描いた話、と一度、意識して読んでみてもらいたい。「ほんとうの幸」は物語のとても重要なキーワードであるので、きちんと理解しておく事をお勧めします。「ほんとうの幸」に関連がある文章を抜き出して、もう一度じっくり読みながら考えましょう。

<鳥捕り>
~他人の幸せのためならば~

第四次稿 第九章ジョバンニの切符(前)より抜粋以下
「もうじき鷲の停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較べて云いました。
 ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。(以上原作より抜粋)

 最初に、(ほんとうの幸)と言う言葉が、文章中に出てくるのは、鳥捕りが突然姿を消した前後である。ジョバンニは、初めは鳥捕りを馬鹿にしていた。しかしこの場面で初めて、ジョバンニの「他人の幸せのためならば自分の体を使いたい」という気持ちが芽生えた。それは、いままで「馬鹿」だという鳥捕りの評価が、「気の毒」に変わった瞬間でもある。この時ジョバンニは、鳥捕りにとっての(ほんとうの幸)は、「自分の持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまう」、「自分があの光る天の川の河原に経って百年つづけて立って鳥をとる」事で実現できるのではないかと思い、「ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか」と聞こうとする。しかしそれを実現する前に鳥捕りは消えてしまい、ジョバンニは「大変つらい」「変てこな気持ち」を味わう事になるのです。

明晩に続く・・・・

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