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2010/08/07

歴史の?その258:正史の中の疑問64:ナポレオンの財宝・その4

<正史の中の疑問64:ナポレオンの財宝・その4>

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◎黄金の湖

 さて、木箱、大ダルと説は様々ですが、それが分散隠匿されて可能性も充分に在り、その総領は判りません。
その所在地も、ビリノ(リトアニア共和国・ヴィリニュス市)、ロシア共和国スモレンスク・オルシャ(ベラルーシ)間、ボリゾフ近郊と様々ですが、この何れもが、ナポレオン軍のモスクワ遠征軍退却路上に位置する事も確かで、何れかが正しいなら、他は間違いと言う意味では有りません。

 この中で最も可能性が高い場所が、モスクワ・スモレンスクのほぼ中間に位置する付近。
1812年11月2日、クツゾフ将軍の追撃を受けた際、「“財宝”をスモレンスク街道に沿った小さな湖水に沈めた」との通説が最有力候補なのです。

 ナポレオン軍のモスクワ撤退開始は、10月19日、スモレンスク到着は、11月中旬です。
逆算すれば、先之11月2日は、恐らくモスクワ・スモレンスクの中間に位置するロシア共和国ウイジマ市付近と推定されています。

先に記述した、ソビエト政府によって水質、土質調査されたストヤーチエ湖は、ウイジマ市から39kmの場所に位置し、勿論、セント・ヘレナ島の改修工事では、この種の記録は発見されませんでしたが、同湖を基準点と判断するのは無謀な事とは、思えません。

 はたして、同湖水の高濃度銀含有量は、“財宝”の場所を暗示するものでしょうか?
例え、発見された時は、他にも多くの“ナポレオンの財宝”が、現実に隠匿埋蔵されている事の証明にも成ります。
古くから云われる様に、スモレンスク街道は、“黄金の街道”なのでしょうか?

本編終了・・・
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