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2008/09/12

「銀河鉄道の夜」第6回

ほんとうの幸考第二回

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<青年>
~幸せの取捨選択と相違~

第四次稿 第九章ジョバンニの切符(中)より抜粋
「いえ、氷山にぶっつかって船が沈みましてね、-略-船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボートは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫びました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈って呉れました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。-略-ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく船からはなれていましたから。」
 そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼が熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
 燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
 青年が祈るようにそう答えました。 以上 本文より引用。


 次に、ジョバンニが(ほんとうの幸)について考えるのは、青年の話を聞いた時である。ジョバンニは青年の[かおる子とタダシを生かしたい][他人が死ぬのもつらい][かおる子とタダシに神にそむく行動をとらせられない][自分も神にそむく行動をとることができない]という4つの気持ちからどれかを捨てねばならない選択において、[かおる子とタダシを生かしたい]という気持ちを捨てざるを得なかった話を聞いた。そして、自分の求める(ほんとうの幸)を達成するには、必ず、幸の取捨選択を行わなければならないという事に気付く。しかし、取捨選択してしまった幸は(ほんとうの幸)ではありえない。つまり、(ほんとうの幸)を実現する事は不可能なのではないか、と悟るのだ。それまでのジョバンニは、自分のものを人に与える事で(ほんとうの幸)は実現できると思っていた。しかし、(ほんとうの幸)を実現する上での矛盾点に気付き、自分はどうすれば良いのか解らなくなってしまって「首を垂れて、すっかりふさぎ込んで」しまったのである。

 ここで注意すべきは、ジョバンニの言う(さいわい)と、青年や灯台守の言う(幸福)、(いちばんのさいわい)は違う物であるという事だ。ジョバンニは、全ての人の幸が実現する事を(ほんとうの幸)だと思っているが、燈台守の言う(ほんとうの幸福)とは、個人の幸福について言っているものだ。青年の言う(いちばんのさいわい)も、(自分達の幸の中で一番良い幸)という意味である。つまり、ジョバンニの言う広い意味での幸と、青年達の言う幸は、まったく質の異なるものだ。同じく、北十字とプリオシン海岸の、カムパネルラが言う(いちばん幸)も、ジョバンニの(ほんとうの幸)とは異なるものである。

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コメント

非公開コメント

おはよ-♪

とりあえず朝からは天気が良いですね!

私の名前にも 「幸」 入ってます。
特別な事が無いのが”幸”なのかもしれませんね。