<世界史の流れ5・ギリシアとその文化>
ギリシア人は、紀元前2000年からバルカン半島を南下し、エーゲ海文明に接し、この文化を吸収してミケーネ文明を創りました。
其れから、更に紀元前1200年頃、新たに南下して来た、同じギリシア人であるドーリア人によって、ミケーネ文明は征服破壊されてしまいます。
ドーリア人達は鉄器を使用していたものの、未開の民族で、この後一時期ギリシアには、文化らしきものは存在せず、“暗黒時代”に入ってします。
しかし、彼等は、その中から全く新しい優れた「ギリシア文化」を創造していきました。
ギリシア人は、「都市国家(ポリス)」と呼称される特殊な国家形態を形成し、是は小さな自治独立国家で、その数は地中海周辺に数多く分布し、そのポリスの中で代表的なものは、イオニア人の「アテネ」とドーリア人の「スパルタ」です。
アテネは、文化的な民主制の海軍国、スパルタは、極端な強兵制度を採用した寡頭政治の陸軍国でした。
紀元前6世紀中葉から、次第に大帝国に変貌していったペルシャは、紀元前5世紀初頭、ギリシアに侵略を開始(ペルシャ戦争)します。
ギリシアのポリスの中には、刃を交える事無く、ペルシャの軍門に下ったものも在りましたが、アテネ、スパルタ両軍は、頑強にペルシャに抵抗し、事にアテネは「マラトンの戦い」(陸戦)と、「サラミスの海戦」でペルシャ軍を撃破し、ギリシア第一の強国と成り、「デロス同盟」の盟主として他のポリスを従えて、繁栄の絶頂期を迎えます。
この時代、アテネには、パルテノン、エレクティオン等の神殿や、劇場、公共施設が建造され、学問、芸術の中心として多くの、哲学者、芸術家を輩出します。
しかし、アテネの繁栄に対して、スパルタは、紀元前431年アテネに侵攻し、ペロポネソス戦争が勃発します。
スパルタは、この戦いに勝利したものの、その栄華は長く続く事は無く、ギリシアのポリス同士がその勢力を競う中、北方のマケドニアが国力を増大させ、その王ピリッポスの時代、全ギリシアは征服統治されてしまいました。
ピリッポスの子、アレクサンドルはギリシア軍を率いて、アジアに遠征を繰り返し、大帝国を築き上げます。
彼が征服地に建設した、ギリシア風のポリスは、ギリシア文化を東方に伝える中心地と成り、その中のでもエジプトのアレクサンドリア(アル・イスカンドリア)は、現在でも地中海の重要な貿易港として、繁栄しています。
続く・・・
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