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2010/08/25

歴史の?その268:世界史の流れ8・三国から唐代へ

<世界史の流れ8・三国から唐代へ>

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 3世紀初頭、漢帝国が滅亡すると、中国は分裂の形成と成りました。
魏・呉・蜀の三国が分立して、天下を争いますが、中でも最も強大であった魏は、やがて蜀を滅ぼし、魏を継承した晋は、呉を滅ぼします。
3世紀の末近く、中国には再び統一王朝が出現しますが、其れも僅かな期間に過ぎず、4世紀初頭には、北方及び西方から異民族の中国領内侵入が繰り返され、その北部はやがて異民族の支配下に置かれてしまします。

 晋王朝は南に下り、現在の南京を都と定め、是より以後、5世紀から6世紀にかけて、南京は宋・斉・陳の王朝が興亡します。
所謂、南朝です。

 一方、北方では、五胡十六国の時代を経て、5世紀にはモンゴル系の北魏が勢力を統一しました。
こうして、中国では南北朝の時代と成り、この形勢は隋の統一迄続きました。

 さて、日本の状態が詳しく中国人に知られ、且つ記録されたのは、3世紀の魏の時代です。
三国志の中の、“魏志倭人伝”に記載され、越えて5世紀には、大和朝廷が南朝の宋、斉に朝貢しています。
隋の統一時代は、我国では聖徳太子の時代(飛鳥時代)で、此処で初めて日本は、中国の王朝と対等な国交を行うに至りますが、この彼我の往来に関する詳細な点については、まだ疑問とすべき点が少なく有りません。

 隋の帝国は30年にして滅亡し、次いで唐が建国します。
唐は、8世紀に及んで、その絶頂期を迎え、都の長安は当時、世界最大の都市で在り、日本から遣唐使、留学生をはじめ、唐の文化を慕う人々が集い、そして長安は、国際色豊かな文化都市として発展しました。

 この頃、朝鮮半島の南部には、新羅が統一国家を形成し、半島北部から東北部にかけては、渤海が建国しています。
新羅も渤海も唐の制度に倣って、国家の体制を整え、殊に渤海は広大な領土を保ち、“五京十五府六十二州”の区画を立てて、“海東の盛国”と称され、唐に朝貢すると共に、日本にも奈良時代から平安時代にかけて、しきりに朝貢
します。
渤海との交歓の様は、我国の記録にも詳しく書き残されていますが、其処には、記録に欠けた悲話(秘話)も在りました。
故意であったか、偶然であったか、我国に伝わらぬ秘話こそは、私達同胞のいたましい運命を示す悲話でした。

続く・・・
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