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2010/08/27

歴史の?その270:世界史の流れ10・モンゴル帝国

<世界史の流れ10・モンゴル帝国>

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 現在、モンゴルと言えば、モンゴル人民共和国、モンゴル民族、モンゴル高原の名前を私達は、思い浮かべます。
更にモンゴル人種(モンゴロイド)では、日本人、韓国人、中国人を含めて、アジア人種全体の呼称でもあります。
此処で、「ネイティブ・アメリカンはモンゴル人種に属する」と記述されていても、其れはモンゴル民族と同じものという意味ではなく、アジア人種という意味なのです。

 しかしモンゴルという名称が、是ほど広く用いられる様に成ったのは、チンギス・ハーンが大帝国を建国して以来の事でした。

 12世紀前半、モンゴルと言えば、現在のモンゴル高原の東方で遊牧生活を送る一部族の名称に過ぎませんでした。
其処にテムジン、後のチンギス・ハーンが現れ、モンゴル部族を統一し、更には周辺の諸部族を従え、現在のモンゴル高原を舞台とする大帝国を形作りました。
そして出身部族の名前を国家の名前とし、“大モンゴル帝国”と呼ぶ事が、正式の国家名称と成りました。

 チンギス・ハーンの帝国は、愈々拡大し、やがては、アジアの大部分から東ヨーロッパにまたがる大帝国と成り、大モンゴル帝国の名前は、当時の世界に広く知られる様に成ります。
因みにハーン(カン・汗)は、モンゴル語で「皇帝」を意味する言葉なのです。

 モンゴル民俗の西方には、トルコ民族が居り、東方には、ツングース(満州)民族が居て、合わせてアルタイ語族と呼ばれます。
その言語は、日本語、韓国語に酷似した部分もある事から、日本人もアルタイ語族に近い関係に在ると推察する学者は多いのです。
このアルタイ語を北方系とすると、中国語、タイ語、チベット語、ビルマ語は南方系に属し、是等の言語構造は、全く異なっています。

 其処で、東アジアの歴史上の民族系統に当てはめてみると、吐蕃、西夏はチベット系であり、是に対して北方の契丹はモンゴル系に属し、金、清王朝を築いた女真族は、純粋なツングース族に属します。
高句麗、渤海人は、ツングース系では在りますが、モンゴルとの混血民族と考えられます。

続く・・・
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