<歴史に残る人々1・ナチスから10万人を救った外交官>
第二次世界大戦の最中、民族浄化の名の下にユダヤ人への迫害が繰り広げられていたナチス占領下、ワレンバーグはスウェーデン外交官として、ハンガリーへ赴任しました。
この時から「10万人のユダヤ人を救った英雄」としての活躍が始まります。
「セーフハウス」と呼ばれる31軒の家を造り、1万5千人ものユダヤ人を保護し、さらにはワレンバーグの写真とスウェーデン国旗を印刷した保護証明書を発行し、これを大量に配布しました。
この保護証明書には、法的な権限は全く有りませんでした、意外なほど効力を発揮し、大勢のユダヤ人が難を逃れることが出来たのです。
しかし、彼の行動は一外交官の裁量を大きく逸脱する行為で在り、賄賂や脅しなどの手段も躊躇なく使ったと伝えられています。
時には、強制居住地区のユダヤ人抹殺命令を受けていた、ドイツの将軍シュミットフーバーを相手取り「これを実行すれば、戦後責任を取らせて貴方を確実に絞首刑にする」と脅して、未然に計画を阻止し、又10万人ものユダヤ人を180キロの道程を、一切の食料なしで強制移動させた「死の行進」の際には、列車で駆けつけ食料を与え、保護証明書を配布し、世論に訴えかけるという手段によって、これも阻止しました。
その様なユダヤ人の英雄ワレンバーグは、アメリカ合衆国からの資金援助を受けていた事から、スターリン独裁下のソビエトには、アメリカのスパイと認識されてしまいます。
そして、1945年1月、ナチスを破りハンガリーへと侵攻してきたソ連軍と、以後のユダヤ人保護政策について話し合う為その会見場へと向かった時が、ワレンバーグの最後の姿と成りました。
ワレンバーグはソ連の収容所へと送られ、1947年頃死亡したと言われていますが、ワレンバーグの死は公式には未だ認められていません。
戦後、各地に彼の英雄行為に対する碑が作られ、イスラエルでは栄誉国民を、アメリカでは名誉市民権を与えられています。
続く・・・
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