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2008/09/14

「銀河鉄道の夜」第8回

ジョバンニの嫉妬考

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<賢治の心の葛藤>
  鳥捕りに会った後に、ほんとうの幸を意識し始めるジョバンニだが、九章で会うかおる子に対しては嫉妬心を抱く。なぜジョバンニは、その時既にほんとうの幸という崇高な目的意識を持ち始めていたにもかかわらず、九章ではかおる子個人に嫉妬を抱くように描かれたのか。私は、それは賢治が自分自身の心の葛藤を物語に表現した為だと考える。賢治には愛してやまない妹としがいた。
 銀河鉄道の夜は、としが亡くなった後、としへの鎮魂歌として書かれた作品であり、ジョバンニは賢治自身をモデルとして描かれ、カムパネルラはとしをモデルとして描かれたという有力な説がある。賢治は、銀河鉄道の夜を執筆中ほんとうの幸という理想を持っていたが、とし個人への特別な思いを消す事が出来なかった。ほんとうの幸を求めるということは、みんなが幸せになるという事である。しかし、同時に賢治は一人の人間を求めてしまう。その矛盾と賢治の葛藤がそのまま物語に表現され、ジョバンニの嫉妬となって書かれているのではないでしょうか。

<嫉妬心の正体>
 しかし賢治もジョバンニと同じく、一人の人間を求めてしまい賢治はそんな自分自身を蔑んでいる。
(※参考・宮沢賢治著『オホーツク挽歌』より、「海がこんなに青いのに/わたくしがまだとし子のことをかんがへてゐると/何故おまへはそんなにひとりばかりの妹を/悼んでいるかと遠いひとびとの表情が言ひ/またわたくしのなかでいふ」)
 賢治は、「ひとりをいのってはいけない」という事を知っていながらも、「ひとりばかりの妹」を思うことを止められていないのである。
 としのことばかりを考えている事に対する賢治の自嘲であり、みんなを考えなければいけないと頭では分かっているのに、どうしてもその通りに行動できないという賢治の葛藤が見られる。そして、この賢治の葛藤は、ほんとうの幸を追及したいと思いながらもカムパネルラを求めるジョバンニの姿と重なる。
 これらの事から、ジョバンニの嫉妬は、賢治が自分自身の姿をジョバンニに投影したために生まれたものなのではないかと思われる。これを意識して物語を読むと、ジョバンニのカムパネルラに対する思いからは、理想を追求しながらも人間らしい感情を捨てきれない賢治の生々しい苦悩を感じることができるだろう。

参考:佐藤紘子著 論文 『銀河鉄道の研究』~最終形における「ほんとうのさいはひ」とは何か

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