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2010/10/14

歴史の?その311:歴史に残る人々34・リビングストン博士とアフリカ大陸その2

<歴史に残る人々34・リビングストン博士とアフリカ大陸その2>

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 その上、博士は、詳細な海図や地理学的な報告を、ロンドンの王立地理学会に送った他、珍しい病気や保健問題に関しても、詳細な記録を作りあげました。
やがて、博士は、アフリカをキリスト教の土地にする為には、アフリカ人自身に行わせる以外の方法は無いと確信する様に成りました。
白人の成すべき事は、利益の大きな奴隷商売に変わる商売を、アフリカに持ち込んでやる事であると考えたのです。

 博士は、医療伝道師としての役割を放棄した訳では在りませんでしたが、1851年のザンベジ川発見は博士の生涯における、大きな転機と成りました。

博士は、1844年に伝道団仲間の女性と結婚し、数人の子供を設けましたが、その内の一人が、まだ幼児のまま熱病に感染して死亡すると、心配の種を根絶する為、家族をケープタウンに連れて行き、其処からイギリスに送り返してしまいます。

◎アフリカ横断

 一人に成り、自由の身に成った博士は、六分儀とクロノメーターの使用方法を学ぶと、航行可能な大きな水路を探索し始めました。
この様な水路が、発見出来れば、ヨーロッパ人の前にアフリカの門戸は開き、キリスト教も商売も活発に成ると考え、其れから数年間に、博士は、大西洋岸のアンゴラからモザンビーク海岸迄行き、アフリカ大陸を横断した最初の白人と成りました。
1856年、イギリスに一時帰国した時は、熱狂的な歓迎を受け、初めての著書「南アフリカ伝道旅行記」は、忽ちの内にベストセラーと成ります。

 間もなく、博士は、アフリカに戻り、今回は、東アフリカ担当の”陛下の領事“として、伝道団と離れ、産業化を目的とした大遠征隊を率いていました。

 しかし、博士は、遠征隊の数々の問題を抱えて、身動きが取れなく成り、荷物を運ぶ人員の大部分が脱落した事や、何トンにも及ぶ食料、装備、更には政府から給付された、大きな川舟が隊の足枷に成ったのです。
最大に問題は、リビングストンに指導力が欠落していたうえ、頑固で仲間のイギリス人との関係は、崩壊寸前迄に成っていました。
遠征隊は、終に1863年、解散してしまいます。

◎ナイルの源流を求めて

 1866年、博士は再び、王立地理学会の依頼でナイルの源流を探索する、探検に出発します。
博士は一人に成れた事を喜び・・・もっとも極少数のアフリカ人従者が居ましたが・・・ましたが、博士自身の体がマラリア、赤痢等の病気に罹り、衰弱していきます。
しかし、ナイルの源流を突き止め様とする、決意は変わらず、タンガニーカ湖周辺の分水嶺を調査中に食料も尽きはて、博士一行は、ウジジの町で休養を取らざるを得なく成りました。

その3へ続く・・・
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