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2010/10/19

歴史の?その314:歴史に残る人々37・シャクルトン調査隊の生還その2

<歴史に残る人々37・シャクルトン調査隊の生還その2>

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 シャクルトンは、坐骨神経痛で酷く苦しんでいましたが、快活に振舞っていました。
ウォースリーが六分儀を使っている時は、両側から支えていなければならず、そうしないと、六分儀もろとも、船から落ちてしまいそうでした。
霧の為、太陽は何時もぼんやりと浮かんでいるだけでしたが、或る日の夕方近く、その霧の向こうに島影を発見しました。
サウスジョージア島でした!

 翌日、彼らは島に上陸して横断し、反対側に在る捕鯨事務所迄行こうと提案しました。
しかし、サウスジョージア島の雪山や氷河の向こうに何が在るのか、誰一人として、其れを知る者など居ませんでしたが、シャクルトンは断固としてこのルートを試みました。
もし、海上を進んで、難破等の事態になれば、エレファント島に残してきた仲間は、死を待つのみと成るからです。

 彼らはキングホーン湾に上陸、洞窟を見つけ、アホウドリの雛を捕らえて食べた時は、余りの空腹に骨まで食べてしまった程で、近くに流れる河の水は、まるで蜜の様な味に感じました。
木の葉や苔を集めてベッドを作り、やっと2週間ぶりに安眠する事も出来ました。

 1916年5月19日、空が晴れて月が輝き、シャクルトン、クリーン、ウォースリーの三人は、同行する事が出来ない三人を残して、島の横断に出発しました。
ウォースリーが磁石で方角を調べ、行く先を示すと、三人は安全の為ロープでお互いの体を結んで進み、時には深さ60m以上も在る大きな谷に危うく、転落しそうになった時も有ったのです。

 終に三人は、尾根に到達、そこは鋭く切り立った場所で、足を両側に垂らす事が出来る程でした。
夜に成ると、霧と闇に退路を断たれ、もし動かなければ、間違い無く凍死してしまいますが、凍った岩肌に足場を作りながら降りて行く事は、時間が掛かりすぎてしまいます。
シャクルトンは言いました。
「是は、とんでもない一か八かの勝負だが、やるほか無い。滑って行こう」

 ウォースリーは後日、この時の事を次の様に話しています。
「我々は、ロープを巻いて、それぞれ小さな座布団を作り、是を敷いて斜面を滑ろうという訳だ。
シャクルトンは、氷を削って、足場を作り、其処に腰を降ろした。
私は、彼の後ろに付き、彼の首を抱える様にしてしがみついた。
クリーンが私の後ろに付き、同様な姿に成り、私達は一塊になって、シャクルトンの一蹴りを合図に滑り始めた。

その3へ続く・・・

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