歴史の?その327:発見10・アメリカ大陸の発見1
<発見10・アメリカ大陸の発見1>

アメリカ大陸発見者・エイブル・エイリクソン像
アメリカ大陸程、幾度も“発見”された土地は殆んど無いと思います。
諸説を総合すると、クリストバル・コロンが1492年にカリブ海の島に辿り着くよりも遥かな昔に、フェニキア人、アイルランド人、バイキング、ウェールズ人、中国人が“新世界”に到達している事になります。
特にアジア人は数千年前にアメリカ大陸を“発見”した点においてほぼ学会の説は一致している様です。
アジア人は、狭いベーリング海を越えてアラスカに渡り、北アメリカの南部と東部に広がり、更に南アメリカへと南下しています。
中国人説は、近年、北京大学の研究者から提起された学説で、西暦459年、5人の中国人が太平洋を横断して、メキシコに到達し、6世紀の伝承では一人の仏教僧が、日本から東に7400km航海し、扶桑(フサン)と呼ばれる大陸を発見したと云います。
是は現在のアメリカ大陸で在るか否か、結論は出ていませんが、船が風と潮流の関係で、アメリカ沿岸に到達する事は在ったかも分かりません。
現在、その様な船や乗組員を物語る資料は、一切存在していません。
◎アイルランド人はアメリカに到達したのか?
旅や旅行者の年代史研究の第一人者、サミュエル・エリオット・モリソンは、ノルウェーの伝承の中で、グリーンランドの近くの何れかの土地が、「白い国」「アイルランド大国」と呼ばれていると記述しています。
ビョルンと名乗るアイスランド人が、10世紀の終わり頃、船で西に向かったまま姿を消してしまいました。
それから長い年月が過ぎた頃、同じアイスランド人、グドリエフ・グンラングソンが、強い西風の為、何処かの土地で身動きが取れなくなり、原住民に捕らえられました。
彼らは、アイルランド語を話す様ですが、長老と思わしき人物が、彼を「粗野なアイルランド人」から救い出し、帰国させてくれました。
グドリエフはこの長老と思わしき人物が、ビョルンであると語りました。
この話とは別の北欧伝説によると、西の国で捕らえられた男が、「白い衣服をまとい、大声で叫ぶ、布切れをつけた長い棒を持った」白人達を見たと報告しています。
この話をモリソンは次の様に解説しています。
「アイルランド人の宗教儀式の行列が、この人物の眼にどのように写ったか推測して欲しい。しかしながら、アイルランド人が9世紀や10世紀に、現在アメリカ大陸と呼ばれている土地に辿り着いたとしても、彼らは帰ってこなかったし、それを物語るものを、何一つ残しはしなかった。将来何時の日か、アイルランド人が、アメリカに到達した確実な証拠となる異物が発見されるかもしれない。しかし、その時が到来するまで、我々は掴み所のないアイルランド植民地の話を立ち込める霧を通して、垣間見る事しか出来ない」。
◎ウェールズ人説
これ以上に捕らえどころの無い話が、ウェールズ人の話で、マドク・アプ・オウェイン・グイネス殿下が、1170年にモビール湾に上陸、ウェールズ語を残した事に成っています。
ミズーリ川上流の色白のインディアン、マンダン族はこのウェールズ人の子孫であるとの説も存在しますが、これは単なる空想に過ぎず、研究者はこの説の矛盾、誤りをはっきりと指摘しています。
その2へ続く・・・

アメリカ大陸発見者・エイブル・エイリクソン像
アメリカ大陸程、幾度も“発見”された土地は殆んど無いと思います。
諸説を総合すると、クリストバル・コロンが1492年にカリブ海の島に辿り着くよりも遥かな昔に、フェニキア人、アイルランド人、バイキング、ウェールズ人、中国人が“新世界”に到達している事になります。
特にアジア人は数千年前にアメリカ大陸を“発見”した点においてほぼ学会の説は一致している様です。
アジア人は、狭いベーリング海を越えてアラスカに渡り、北アメリカの南部と東部に広がり、更に南アメリカへと南下しています。
中国人説は、近年、北京大学の研究者から提起された学説で、西暦459年、5人の中国人が太平洋を横断して、メキシコに到達し、6世紀の伝承では一人の仏教僧が、日本から東に7400km航海し、扶桑(フサン)と呼ばれる大陸を発見したと云います。
是は現在のアメリカ大陸で在るか否か、結論は出ていませんが、船が風と潮流の関係で、アメリカ沿岸に到達する事は在ったかも分かりません。
現在、その様な船や乗組員を物語る資料は、一切存在していません。
◎アイルランド人はアメリカに到達したのか?
旅や旅行者の年代史研究の第一人者、サミュエル・エリオット・モリソンは、ノルウェーの伝承の中で、グリーンランドの近くの何れかの土地が、「白い国」「アイルランド大国」と呼ばれていると記述しています。
ビョルンと名乗るアイスランド人が、10世紀の終わり頃、船で西に向かったまま姿を消してしまいました。
それから長い年月が過ぎた頃、同じアイスランド人、グドリエフ・グンラングソンが、強い西風の為、何処かの土地で身動きが取れなくなり、原住民に捕らえられました。
彼らは、アイルランド語を話す様ですが、長老と思わしき人物が、彼を「粗野なアイルランド人」から救い出し、帰国させてくれました。
グドリエフはこの長老と思わしき人物が、ビョルンであると語りました。
この話とは別の北欧伝説によると、西の国で捕らえられた男が、「白い衣服をまとい、大声で叫ぶ、布切れをつけた長い棒を持った」白人達を見たと報告しています。
この話をモリソンは次の様に解説しています。
「アイルランド人の宗教儀式の行列が、この人物の眼にどのように写ったか推測して欲しい。しかしながら、アイルランド人が9世紀や10世紀に、現在アメリカ大陸と呼ばれている土地に辿り着いたとしても、彼らは帰ってこなかったし、それを物語るものを、何一つ残しはしなかった。将来何時の日か、アイルランド人が、アメリカに到達した確実な証拠となる異物が発見されるかもしれない。しかし、その時が到来するまで、我々は掴み所のないアイルランド植民地の話を立ち込める霧を通して、垣間見る事しか出来ない」。
◎ウェールズ人説
これ以上に捕らえどころの無い話が、ウェールズ人の話で、マドク・アプ・オウェイン・グイネス殿下が、1170年にモビール湾に上陸、ウェールズ語を残した事に成っています。
ミズーリ川上流の色白のインディアン、マンダン族はこのウェールズ人の子孫であるとの説も存在しますが、これは単なる空想に過ぎず、研究者はこの説の矛盾、誤りをはっきりと指摘しています。
その2へ続く・・・
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