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2010/11/08

歴史の?その329:発見の歴史12・誤って発見された新世界1

<発見の歴史12・誤って発見された新世界1>

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 「イエロ島は、カナリア諸島の最西端の島だ。
今その島が船尾の彼方に見えている。
そのイエロ島の島影が、ますます小さくなり、ついにかき消す様に水平線に消えた時、船乗り達は、信心深く十字を切った。
彼らの前には、見渡す限り島の一つも無い、大海原が広がり、夢と共に未知と恐怖の世界が、行く手に広がっていた」。

 しかし船長だけは、平静を装っていました。
彼は、昼夜の別なく船首を真西に向けて航海する様に命じ、4000km以上を航行したのでした。
そして、其れでも陸地が見えないと、船長は、偽の航海日誌をつくり、実際より短い距離を記載して、ヨーロッパ大陸から其れほど遠く無いように見せかけ、乗組員を安心させました。

 船は2隻の随伴船を伴い、際限なく広がる大海原を進んで行きました。
船の名前はサンタ・マリア号、船長の名前は、クリストバル・コロンでした。

 日増しに故国スペインは遠くなり、生きて再び故郷に帰れるのか、未知の土地に向かって航海の日々を重ねるにつれ、乗組員の心配は、増長して行きました。
しかし、クリストバル・コロンだけは、彼らの心配を他所にあくまでも航海を続け、反乱を起こすと言う彼らの脅迫にも怯みませんでした。

◎地球は丸い

 陸地が見えなくなってから32日、スペインを出帆した、1492年8月3日から69日目に、彼らは緑の葉がついた枝を海面からすくい揚げました。
翌日(10月12日)、この小艦隊は、原住民がグアナハニと呼ぶ島に到着し、コロンはこの島をサン・サルバドル(救世主)と命名し、スペインの領土である事を宣言しました。

 コロンは、自分が発見したのはアジア大陸東海岸沖の島々であると、死ぬまで固く信じていましたが、彼は、ヨーロッパの冒険家達に新世界を開いてみせた人物として、歴史に名前を刻んだのです。

 さて、この大航海について、多くの人々が事実として受け取っている多くの事柄には、誤りがあります。
例えば、この時代“地球は丸い、平坦では無い”と信じていたのは、なにもコロン一人ではなく、既に大部分の地理学者、知識人は知っていた事なのです。
彼が、インド亜大陸への新しい航路を発見する計画について、スペイン国王である、フェルナンドやイザベル女王に援助を申し出た時、是を拒否したのは、彼らが世界を平坦であると信じていたのでは無く、当時ムーア人の脅威と常に背中合わせで在ったので、果たして成功するか否かも解からない冒険にも近い行動に、国庫を傾けたく無かった事が事実なのです。

その2へ続く・・・

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