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2010/11/11

歴史の?332:発見に歴史15・キリスト時代の巻物2

<発見に歴史15・キリスト時代の巻物2>

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◎修道院の廃墟

 最初の洞窟から、500m程しか離れていない場所で、キルベット・クムランと言う名前の修道院の廃墟が、発掘されました。
此処は、宗派のはっきりとしない僧侶達の本拠地で、修道院の中央集会所の書写室には、長いテーブルとベンチ、二つのインク壺、更に最初の洞窟で発見されたもの同様な壺が、見つかりました。

 クムラン修道院の人々は、紀元68年頃、ローマ第10軍団の接近に伴い、文書を洞窟に分散して隠したらしく、発見された文書や断片は、大部分がヘブライ語で書かれたものでしたが、ギリシア語のセプトァギンタ、即ち70人訳聖書の断片も幾つか混じっていました。
500巻以上の書物の断片が含まれ、エステル書を除いた、旧約聖書全部が揃っていました。
更には、旧約聖書の注釈書や、修道院の生活と、修養に関する資料とも成りました。

◎エッセネ派

 発見された文書の内、クムラン修道院の生活について記されている部分は、この時代のユダヤ教の宗派で、約4000人の宗徒を要していた、エッセネ派の人々の生活と一致します。
ローマの歴史家プリニウスは、エッセネ派は死海の西側に住んでいると書かれており、其処は当に修道院が発掘された地域であり、キルベット・クムランは、エッセネ派の本拠地であったと推定されます。
この発見は、聖書研究に新しい資料を提供しました。

◎キリスト教の始まり

 この宗派の「修養の手引」をはじめとする幾つかの文書は、エッセネ派と初期キリスト教運動が、驚く程良く似ていたことを明らかにしたと言えます。
エッセネ教団に入団を欲する者は、其れまでの絆と、世俗的な財産を放棄しなければ成りませんでした。
宗徒は質素な生活を心がけ、思想の純粋さ、謙遜、やさしさを目指して修行したのです。
儀式としては、懺悔による精神の浄化を象徴する、水を使った儀式と、聖餐と会食が行われました。
宗徒は、共同生活を営む事を義務付けられたのです。

 研究者は、巻物に述べられている、「義の教師」が、何者なのかという問題に解決を見出していません。
しかし、多くの表現や倫理的な考え方が、新約聖書と多くの点で、似ている事、特に「道」、「光」、「暗黒」の力の闘争といった面が述べられている事に、研究者は衝撃を隠せませんでした。

 洗礼者ヨハネが、エッセネ派であったと信じている人々も存在し、キリストも又、そうではなかったのかと云われています。
もし、その通りで有るならば、救いに至る道として、モーゼの律法を守る律法万能主義の宗派から、彼は後に離脱したのでした。

 研究者は現在も断片と化した写本の研究を継続していますが、死海文書がその全てを明らかにする迄には、まだ可也の年月を必要としています。

本編終了・・・
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