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2010/11/13

歴史の?その334:発見の歴史17・ユダヤ人抵抗の砦マサダ2

<発見の歴史17・ユダヤ人抵抗の砦マサダ2>

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 キリスト生誕の30年程以前、この地はヘロデ王によって、城砦として要塞化され、常に裏切りを恐れていたヘロデ王は、岩盤の上に大きな城壁と搭を建て、水路網と貯水池、固い岩を刻んだ階段を持つ大きな地下室を建造したのです。
断崖の上には、宮殿、3層からなる華やかな娯楽用の館を建て、此処は安全で、贅沢な隠れ家と成りました。
ヘロデ王の死後、進駐していたローマ軍が、此処を駐留地として使用し、西暦66年に、ユダヤ教信者の一団が、メナヘムの指導の下に、ローマの支配に反抗して立ち上がる迄、続いたのでした。
4年後、反乱の殆どが鎮圧された時も、マサダだけが最後迄頑強に抵抗を続けたのでした。

◎ローマの復讐

 西暦72年、ローマのユダヤ執政官フラィウス・シルバは、恐るべきローマ第10軍団の先頭に立ち、マサダに進撃しました。
73年の初頭迄に、彼は砦を取り囲む壁を造り、男も、女も、子供も、誰一人ローマの復讐から、逃れる事が出来ない様にしてから、攻略の準備を開始したのでした。
攻撃に最適の場所は、西側の突出部で、ローマ軍は其処に向かって、巨大な土の傾斜路を築き、その頂上に攻撃の本拠となる石の搭を造り、石弓等の武器を持って攻撃を開始しました。
マサダの陥落は、もはや時間の問題と成り、その運命は定まったのです。

 1900年後、発掘者は、ローマ軍に抵抗した彼らの、絶望的な最後の日の証拠を掘り出します。
火をかけられなかった貯蔵食料や、食糧の配給券らしい、青銅のコインの山が発見されたのです。
様々な建物の破片の中に、14巻にのぼる巻物の断片が発見され、夫々がある程度正確に、紀元前1世紀から紀元後73年迄の物である事が確認され、この中には、聖書の申命記、エゼキエル書、詩篇、外典の一部等の抜粋が含まれており、有る物には、死海写本と同様な、宗派の聖句が書かれていました。

 ローマ軍が進行してきたと予想される方角を見下ろす戦略地点で、考古学者は11個の陶器片を発見しました。
夫々に名前が書かれており、明らかに同じ筆跡で、その内の一つには、ベン・ヤーイルの名前が在りました。

 10本の籤の他に、英雄的指導者、エレアザル・ベン・ヤーイルの名前を書いた、11本目の籤が存在したのでしょうか?
そして、彼が最後の生き残った男となり、自ら剣で命を絶ったのでしょうか?
彼程の男が、自分の部下に求めた恐ろしい命令に、怯む事はまず考えられません。
今日、マサダは聖地として、イスラエルの人々によって保存され、イスラエル軍に入営する新兵は皆、「マサダは二度と陥落させない」と誓う事が伝統となっています。

本編終了・・・
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