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2010/11/29

歴史の?その347:発見の歴史30・アンデスの白い人々①

<発見の歴史30・アンデスの白い人々①>

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 スペインの征服者が、南アメリカの西海岸を征服するより、遥かな昔、インカ帝国の建国よりも前、ティアワナコは既に廃墟と成っていました。
其処で、栄華を極めた人々は既に去り、崩れた記念碑だけが残り、石の城郭を空高く築き上げた、偉大な建設者達の力量を物語っていました。

 ティアワナコは、海抜4000m、チチカカ湖の南岸、ボリビア・ペルー国境近くに位置し、この町は、紀元前100年から西暦1000年頃にかけて繁栄したものの、住民は文字による記録を一切残しませんでした。

 現在、私達が彼らについて、知っている事は、殆んど全て400年前、スペイン人によって書き残された伝説の基づいているのです。

 ティアワナコ人は家畜も、車輪も、コロさえも知らず、道具は石で出来た物しか存在しませんでした。
其れでも彼らは、40kmも離れた採石場から巨大な石塊を切り出し、起伏の激しい土地を越え、湖を渡って都迄運んだのでした。
此処で石隗は0.5mmの精度で研磨され、巨大建造物は造営されたのです。

 其処には、今尚、幾つかの大建造物の廃墟が残っています。
最大の物がアカパナで、自然の丘を人工的に削り、石で覆い、縦横それぞれ200m、高さ15mの大きさに仕上げられており、その近くには、130m四方のカラササヤが在り、この壁には推定重量150tの巨石が使用されています。

 カラササヤの門の向こうに、ティアワナコ文明の源を知る手掛かりとなる一つの彫刻が存在し、インカが後にビラコチャと呼んだ、頬に涙を流す創造神コンティキを刻んだものです。
インディオの伝説に因れば、コンティキは人間だったと云い、彼とその部下は、白い皮膚と青い眼をしていて、西暦500年頃ティアワナコにやって来たのでした。
恐らく、彼らは進んだ文明を持った平和な人々だったと思われ、インディオ達に建築と農業を教え、石造を建てたのでした。

 其の後500年位後、海岸地方のインディオがティアワナコに侵入して来ましたが、その白い人々は殆どが虐殺されましたが、指導者と若干の人々は海岸に逃れ、船に乗って太平洋の彼方に去って行きました。

 もう一つの手掛かりは、カラササヤの近郊に存在する、実物の2倍程の大きさの人物像です。
この像は、現在司教像と呼ばれており、本の様に見える物を持っていますが、1500年代にスペイン人に征服される迄、本という物は知られていませんでした。

その②へ続く・・・

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