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2010/11/30

歴史の?その348:発見の歴史31・アンデスの白い人々②

<発見の歴史31・アンデスの白い人々②>

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 是等の手掛かりと伝説、考古学的検証から研究者によって、ティアワナコの歴史概略を描き出しています。
しかし、ティアワナコをその頂点に押し上げた、白い皮膚を持った外国人の素性も彼らが何処に消えたのか、知る事は出来ませんでした。

 フェニキア人は、キリスト教の時代が始まる遥か以前から、大西洋を航海しており、紀元前500年には、カナリア諸島に植民地も持っていました。
彼らは遠く、現在のブラジル沿岸に到達していた可能性が高く、その子孫が大陸を横断して、アンデス山脈に達した可能性も否定できないのです。
ギリシアの歴史家テオポンプスは、紀元前380年にジブラルタルの西に在る、広大な島の事を記録していますが、フェニキア人の航海者が、彼に南アメリカの事を語ったのでしょうか?

 アイルランド伝説によれば、聖プレンダンは、西暦6世紀に大西洋を渡ったと云います。
この聖人が、南アメリカを訪れたと断言する研究者は、存在しませんが、アイルランドの修道士達が、大胆な航海者であった事は事実なのです。
彼らは、若木と獣皮で作られた、小船(コラクル)に乗り、少なくともアイスランドやグリーンランド迄航海しました。
あの司教と呼ばれる像は、祈祷書を手にした敬虔な神父であり、又インディオが想像した様に、悲しみの人、コンティキなのでしょうか?

 現実的には、南アメリカの西岸は、ヨーロッパより、アジアの方からが接近しやすく、中国の史書には西暦500年に、仏教の僧侶が太平洋を航海して、遠く離れた土地に赴いた事が記録されており、西暦1000年頃には、日本の漁船が嵐の為に風と潮流に流され、エクアドルの海岸に上陸した痕跡が有ると云われ(?)、当時日本よりも遥かに航海術に秀でていた中国が、その600年前にこの大航海を成し遂げたとしても、不思議では有りません。

 ノルウェーのトール・ヘイエルダールは、ティアワナコの白い人々が何処へ行ったかではなく、最初、何処から来たのかを説明しました。
西暦1480年頃、インカの皇帝とその部下が、アンデスに繁茂する非常に軽い木、バルサで作ったいかだの船団で、太平洋を越える長い航海を行った伝承が有り、その様ないかだは、海岸地方のインディオ達が遥か昔から使用していた物でした。
ヘイエルダールは、バルサのいかだを建造してコンティキ号と名付け、ペルーのカイヤオから西へ航海し、タヒチに近いラロイア島に到達しました。
この様にして、彼はティアワナコ人が如何にして、ポリネシアに逃れたかを証明して見せ、ティアワナコ人が実際にこの様な航海をした証拠として、彼は太平洋の多くの島々の石像が、ティアワナコのものと、信じられない程良く似ている事を指摘しています。

 更に1970年には、ヘイエルダールは、古代エジプト人が使用したパピルスの船を造り、ラー2世号と名付け北アフリカから大西洋を渡り、西インド諸島のバルバドスに達しました。
この大胆な航海で、彼は古代の人々が如何にして、東半球から南アメリカへ到達する事ができたかを証明したのでした。
彼らは、最初グアテマラやメキシコに居住し、時の経過と共に、南アメリカを殖民していったと考えられます。
現在、中央アメリカから南アメリカに文明が伝承した事は、学術上も認められ、ヘイエルダールが正しければ、白い人々、つまりは大海を航海する術を持った旧世界に人々が、ティアワナコを造営した事になるのです。

終わり・・・
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