歴史の?その362:人類の築いたもの⑭
<人類の築いたもの⑭・二つの大陸を結ぶ電信線その1>

大西洋横断電線の敷設工事が、初めて成功したのは、1866年の事でしたが、この快挙は、ニューイングランド出身の実業家、サイラス・W・フィールドが、その事業の先見性と不屈の精神に因るものでした。
彼は、ニューヨークの紙商人として非常な成功をおさめ、可也の資産を築きました。
1852年、33歳で実業界から身を引いたフィールドが、大西洋横断海底電線敷設の可能性に興味を抱き始めたのは、1854年の事でした。
フィールドはまず、初めて実用となる電信機を発明した、サミュエル・F・B・モースと、ワシントンの国立気象台に勤務する、当時、海洋学の第一人者マシュー・フォンティン・モーリーに手紙を送り、両者は熱烈な賛意を示したのでした。
特にモーリーは、その頃行われた北大西洋海域の調査に結果、ニューファンドランドとアイルランドの間には、海底台地がある事が判明し、海底電線敷設に適した地形である事を教えたのです。
フィールドはこの吉報を持って、資金調達に奔走し、彼の人を説得する才能は、正に驚くべきもので在った様で、約1年間でイギリス海軍から、電線敷設ルートの調査と、電線敷設作業に対する協力を取り付け、更にイギリス大蔵省から、海底電線が完成するまで、毎年1万4000ドルの補助金支出の約束を得て、民間機関からの資金調達にも成功しました。
◎問題
しかし、フィールドの母国アメリカの人々は、イギリス人程熱心では在りませんでしたが、其れでも1857年、アメリカ合衆国議会は、電線敷設を援助する為、毎年の補助金支出と、作業船提供に関する法案を僅かな差で可決したのでした。
一方イギリスでは、電線の製造が進められ、1857年7月に完成を見ます。
電線は膨大な量になり、その重量は1kmあたり600kgという重い物だった為、敷設にはイギリス海軍のアガメムノン号とアメリカ海軍砲艦ナイアガラ号が、使用される事に成りました。
その2へ続く・・・

大西洋横断電線の敷設工事が、初めて成功したのは、1866年の事でしたが、この快挙は、ニューイングランド出身の実業家、サイラス・W・フィールドが、その事業の先見性と不屈の精神に因るものでした。
彼は、ニューヨークの紙商人として非常な成功をおさめ、可也の資産を築きました。
1852年、33歳で実業界から身を引いたフィールドが、大西洋横断海底電線敷設の可能性に興味を抱き始めたのは、1854年の事でした。
フィールドはまず、初めて実用となる電信機を発明した、サミュエル・F・B・モースと、ワシントンの国立気象台に勤務する、当時、海洋学の第一人者マシュー・フォンティン・モーリーに手紙を送り、両者は熱烈な賛意を示したのでした。
特にモーリーは、その頃行われた北大西洋海域の調査に結果、ニューファンドランドとアイルランドの間には、海底台地がある事が判明し、海底電線敷設に適した地形である事を教えたのです。
フィールドはこの吉報を持って、資金調達に奔走し、彼の人を説得する才能は、正に驚くべきもので在った様で、約1年間でイギリス海軍から、電線敷設ルートの調査と、電線敷設作業に対する協力を取り付け、更にイギリス大蔵省から、海底電線が完成するまで、毎年1万4000ドルの補助金支出の約束を得て、民間機関からの資金調達にも成功しました。
◎問題
しかし、フィールドの母国アメリカの人々は、イギリス人程熱心では在りませんでしたが、其れでも1857年、アメリカ合衆国議会は、電線敷設を援助する為、毎年の補助金支出と、作業船提供に関する法案を僅かな差で可決したのでした。
一方イギリスでは、電線の製造が進められ、1857年7月に完成を見ます。
電線は膨大な量になり、その重量は1kmあたり600kgという重い物だった為、敷設にはイギリス海軍のアガメムノン号とアメリカ海軍砲艦ナイアガラ号が、使用される事に成りました。
その2へ続く・・・
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