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2010/12/20

歴史の?その365:事実と伝承の狭間①

<事実と伝承の狭間①・失われた大陸その1>

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 失われた大陸や都市の物語は、何世紀も以前から人間の想像力をかきたてて来ました。
紀元前15世紀に、地震と津波によって破壊されたと云うアトランティス大陸の検証は、現在もなお続けられています。
しかし、もしも伝説が信用し得るものとすれば、それより遥かに大きな文明が2つも、自然災害の犠牲となり跡形も無く消えたのでした。
其れは、レムリアとムーの両大陸で、それぞれがエデンの園で在ったと信じられています。

 19世紀中葉の研究者達は、かつてレムリア大陸が現在インド洋と成っている広大な海域に存在したと主張し、数千キロも海を隔てた諸大陸に類似の植物・動物相が見られるのは、その為であると説きました。
レムリア大陸の命名者でもある、イギリスの動物学者P・L・スタレーターによれば、キツネザル(レムール・レムリア大陸の意味)は、アフリカ、南インド、マラヤとインド洋を取り巻く様に分布しており、之は大陸の中央部が波に飲まれた時、周辺部に分けられた為と、主張しました。
その故郷は、恐らくマダガスカル島からアジア南岸を経て東インド諸島に至る、広大な土地でした。

◎化石の証言

 この説は、南アフリカのナタールと南インドで共通の動物化石が発見されて、信憑性が強まりました。
19世紀の進化論者、例えば、イギリスのトマス・ハックスレーはレムリア実在説を支持し、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルは更に一歩進めて、消えた大陸は、「人類発祥の地で在ったと考えられる」と述べた程でした。
この考え方が発展して、レムリア大陸がエデンの園出あったと言われる、原因なのです。

 一方、ムー大陸は太平洋に存在したと、云われています。
1870年にムー大陸を世界に始めて紹介した、イギリス系アメリカ人、ジェームズ・チャーチワードによれば、この失われた大陸は、東西8000km、南北4800kmで、中心は赤道よりやや南に位置していたと説いています。

その2へ続く・・・

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